masat

マンディブル 2人の男と巨大なハエのmasatのレビュー・感想・評価

3.4
こんな阿保、今まで知らなかった自分を恥じた・・・

今年(2024)のカンヌのハエあるオープニングを飾るこの監督、聞いた事もなかった。いま観られる4本を一気に観てみたが、何というか、未知なるものとの遭遇、だった。そんな発見を(遅ればせながら)体験した。
古い言い方をすると“カルト”監督なのだろう。しかし、有象無象が発生した20世紀末のそれらとは一線を画す、何というか、21世紀のそれ、なんだな。

時にほのぼの、とあっけらかんとした呆れ返る発想で、残虐さも知り、笑いのツボもまんまと外し大笑う。オマケに、画と音楽がシャープで、ドボけた顔してこのヤロー、ってな感じで、まんまと魅了される。

大作家、なのだろうか?
その座に君臨したくないからこそ、上映時間が全て70分代で、サラッとヤリ逃げ、ツボを押さないようでいて、わざと少数民を悦ばせて、イイ気になる。ダークな側面も(ちゃんと見せながら)強調し過ぎず、病んでいながら、カラっと陽気・・・即ちチャーミング、なのである(この感覚、どこかで味わった様な・・・ああ、ファレリー兄弟ってこんな感じだった・・・下衆で汚く多幸感・・・)

本作も全くもって“NO reason”。
前作『ディアスキン 鹿革の殺人鬼』(19)で、何度も強調していた様に、タイヤもハエも穴もカッコイイ鹿ジャケットも、何の意味もないのだ。
そこが凄い。

さらに言うと、映画誕生の地フランスには、当初2つの方向性があった。
19世紀最末から20世紀最初頭の頃。
“人間をありのままに映す”こと、と、
“ストーリーとトリック”を編み出すこと。
後者はやがて“特撮”と言う断片が強調される。
カンタンの作品、特に本作もそうだが、SFXとVFXが絶妙だ。アナログの実存感を示しながら、CGをさり気無くリアルに使いこなす。ハエを観よ、タイヤと自転車を観よ。この技はそう簡単ではない。

かくして、ありのままの人間の姿と、映画における見世物性を熟知し、画にし、エモーションを匂わせない様に臭わせるこの阿保監督は、リュミエールの末裔であり、メリエスの子孫であると言えるのだ。
ちょっと大袈裟、かしら?
masat

masat