ものすごく好みな作品。
最近多い「町おこし映画」の一本ですね。
ともあれ脚本が素晴らしい。
まあ、きっちりまとまり過ぎているとは思うけど、そのきっちり具合がシナリオの授業で使えるレベルで見事。
何よりも素晴らしいのは、「映画内映画」の設定。
「入間市内に現れた二つ目の沈まない『偽りの太陽』により、一日が永久にループを始める。それと同時に入間市民が『鬼ゾンビ』と化して人々を襲い始める。ヒロインの巫女が偽りの太陽を射落としてループを終わらせ、ゾンビ化した市民を元に戻すことでハッピーエンディングを迎える。
このループが「ビューティフル・ドリーマー」を参照しているのは「責任取ってね」のセリフからも明確なんだけれど、子供の頃の夏休みっていうのは永遠のループなんですよね。
いや、ほんとは違うから、9月が近づくにつれてやってない宿題を抱えて焦ることになるんだけれど。
ループだからこそ、漫然と何もせずに終わってしまうことも多い。
でも、この作品に登場する子供たちにとっては夏休みの間に明確なタイムリミットが設定される。
ヒロインが海外に行ってしまうので、それまでにクランクアップさせないといけない。
だから、この夏はループじゃない。いちにち一日成し遂げるゴールが存在する。
だからこそ、ヒロインが劇中劇のラストで言う『偽りの射落とし、常しえの夏を終わらせるものなり』が響く。
これがこの映画そのもののテーマとなっているから。
ループは、夏は、確実に終わるんです。
ドアーズの曲で言うなら「夏が終わっていく。夏が終わっていく。夏が終わったなら僕たちはどこへ行けばいいんだろう」ってことです。
だからこそ、その間に何を行うかが重要。
この子たちは、夏の間にひとつのことを成し遂げた。そして、自らの手で「常しえの夏」を終わらせた。
子供たちは6年生だから、小学校時代最後の夏休み。そこで彼らが世界に向かって仕掛けた「戦争」。それがタイトル。
彼らに同じ夏はもう戻ってこない。
それはちょっと寂しいことでもあるけれど、次の夏ごとに、いや、一日ごとに彼らは成長していく。
そして、この小学校最後の夏休みに彼らが残した足跡は、くっきりと「映画」として、いつでも振り返れる「永遠の夏休み」として刻まれている。
この映画を微笑ましい気持ちで観た人は多いと思うけど、私はかなり涙ぐみながら観てしまいました。
私もこの子たちや担任の先生と同じく自主映画やってたしね。
あと、これに限らず映画の重要なファクターとして「走る」という行為がありますよね。
走ることでのエモーションの高まりを演出したい作り手の意図は、どんな映画を観てても十分理解しつつも、「え? 羽田行くの? じゃ、タクシー使えよ」とか鼻白んじゃう作品も少なくない。
本作ではそこもロジックがしっかりしてる。
先生は最初自転車で駆けつける。
思いますよ、そりゃ。「お! まだ走ってない。自転車だ。ってことは、この自転車が使えなくなったりするな。んで、走るな」
ね。ちゃんとそうなる。お約束だけど、そのお約束の手続きすら踏まずに走る映画の何とも多いことか。
ちなみにここでコケた先生を助けた農夫の「名前…(教えてください)」のギャグもわざとベタなことやってて好感が持てます。
(同じくベタなギャグで言うと、太った子のお父さんの唐突なナレーション、「いつの間にこんなに強く…」も笑っちゃった)
この後先生は子供たちに言います。
「走れ! 本当に必要な時はいくら走ったっていいの! 走れ! 全力で走れ~!」
この直前でさ、パパとママが車で来てたじゃん。だから、ちょっと思ってたの。車で行きゃいいじゃん。まあ、「大人の手を借りず自分たちでやり遂げる」を描くためには仕方がないのかね、なんてね。
そこへこの台詞だもん。
これ、私にはこう聞こえた。
「走れ! 映画を演出する上で、本当に必要な時はいくら走ったっていいの!」
っていうか、絶対作り手はそう思ってるよね。
もう、何かそういうところも全部好き。
「二人だけの通話かと思ってたらグループ通話だった」ってところは「GotG Vol.3」を1年先取りしてるじゃん!
しかもこっちは単にギャグとしてじゃなく、物語に機能してるし。実に素晴らしい。