あだむすeqサヤカ

死刑にいたる病のあだむすeqサヤカのネタバレレビュー・内容・結末

死刑にいたる病(2022年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

一度鑑賞。感想記録し忘れ。
感想記録したいが時間空いた為にもう一度鑑賞。

最初から最後まで不穏な空気がずっとあり、特に何かぐわーっと上がる部分があるわけではないけれども、それが正に榛村の異常な日常そのままを描いているようだった。
冒頭シーンの桜の花びらを撒いていると思いきや爪を撒くシーン。薄ピンクの淡い綺麗なものがとてもグロテスクなものになる。終わりにまた入り込む事により、何か儚く淡く切ないという印象が終わりに植え付けられる。そんな事はないはずなのに。

水門を開くと火葬の扉閉められるという生と死が対比して表現されるところから始まり、こだわりある人間の何気ない日常が決まった人間をターゲットにしてるという文言により異常な日常へと急変する。

台詞にプラスして心情や感覚、執着心など色んな事がシーンの光の入り方や映像のクローズアップにより表現されていて、ただ観てるだけなのに知らぬ間に心を動かされてる感じで、これもまた知らぬ間にコントロールされていて榛村のやり方とリンクしてるなと演出すごいなと思った。

襟子のお母さん決められないから決めてという台詞が後々に榛村との関係性を表すのに効いていた。
人は何か自分を特別だと思いたい。自虐でも自信でもそれは特別に繋がる。そうなると世界は色のない白くてつまらないものになり、それは他を蔑み、自分を神格化する。そんな風になる事がとても怖かった。

榛村の天性なのか人をコントロールする能力、そうしないと生きられない病。異常なまでの規則性と執着。
それが死刑にいたる病なのか…
はたまた関わった人間に感染していくという病なのか…
どちらにしろ恐ろしくて、人間とは切なく悲しい生き物だと思わされた。

阿部サダヲさんの演技が素晴らしくて、あの何もない真っ暗な目はすごいと共に怖かった。
裁判シーンで傍聴芸人の阿曽山大噴火さんが出てきたりとおっ。と思うところがあり楽しめた。

終わりも病は結局なくならず残り続けるものなのだという表現がより恐怖だった。