このレビューはネタバレを含みます
最近ちょうどスタンダールの『赤と黒』を読み終えたところ、まさしくリシュアン=ジュリヤンじゃん!となるような構図だったが、この時代はこういうことがさして不思議ではなかったんだろうかとわくわく
「全身で愛するの、でないと無意味」と言っていたコラリーの情熱を忘れない
婚約?パーティ後のリシュアンがひとり椅子で項垂れ、まるで絵画に閉じ込められたようなショット、栄華と衰退がもうよるべなく混ざり合った瞬間のようで息を呑む
いよいよひとりになって湖にたつ後ろ姿をうつくしいと思うや否や、かつての栄光が影を落とすような顔立ちにひとりの男の、その女たちの、仲間(敵)たちの、人生をおもう
それでも『幻滅』というほど悪くない人生じゃないかという印象だったのは、そのときどきあがきながらも自分の武器で生きてきて、なるようになった、人生だと感じたからか
批評も何も、媒体が変わっただけで、当時のやり方の方が露骨に思うか、清々しく思うか、
芸術と批評のあり方も考える
とりあえずグザヴィエ・ドランに乾杯!