りょう

あのことのりょうのレビュー・感想・評価

あのこと(2021年製作の映画)
4.4
 なにより主演のアナマリア・バルトロメイの美貌に見惚れてしまいます。自分の境遇を誰にも相談できなかったりするので、複雑な心情や焦燥感を表現することも簡単ではなかったと思いますが、そんな彼女の演技が作品全体の雰囲気を支配しています。
 物語そのものは、ほぼノンフィクションのような展開で、個性的なキャラクターが設定されているわけでもなく、アンヌの妊娠12週目までが淡々と描写されています。友人の女子学生たちにも理解されない孤独感とか、彼女の後姿を長回しで撮影したり、とても効果的な表現が少なくありません。
 ただ、彼女が堕胎のために“実力行使”をはじめる中盤以降は過酷な描写で、終盤は壮絶としか言えません。「4ヶ月、3週と2日」や「17歳の瞳に映る世界」を(ちょっと異質な「TITANE/チタン」も)観ていたので、それなりに耐性があるつもりでしたが、それらをはるかに凌ぐリアルで直接的な表現はかなりキツイです。
 現代的な価値感からすれば、アンヌは医療からも法律からも迫害されていたということになります。妊娠中絶をめぐる論争は、国家や時代によって区々ですが、胎児が出生して自然人としての法律的な地位が確定しなければ、それまでは母体の一部と解釈すべきです。それを本人が自由に決定できないならば、人権侵害と言わざるを得ません。宗教的な価値感が人権に優越するなんて、もはや通用しない不合理な思想です。日本でもリプロダクティブ・ヘルス/ライツの概念が認識されはじめていますが、いまだに経口妊娠中絶薬や緊急避妊薬を女性が自由に服用できる環境にはないばかりでなく、原則として、妊娠中絶にはパートナー(胎児の父親)の同意が必要とされています。
 オドレイ・ディワン監督が原作を脚色して、あえて1960年代のフランスの実態を映画化したことの意図は、個人の尊厳を無視してまで妊娠中絶を禁止する国家への批判であり、アメリカのようなバックラッシュへの警告だと思います。
 ちなみに、「あのこと」は直訳すると「事件」になる原題の意訳ですが、邦題にしてはめずらしく秀逸です。
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