まぬままおま

麻希のいる世界のまぬままおまのレビュー・感想・評価

麻希のいる世界(2022年製作の映画)
3.8
「風を見張る」
エピグラフでのこの言葉が通奏低音のように響く作品でした。

風とは麻希のことだ。彼女はそよ風のように由希に寄り添うこともあれば、台風のように環境を、人間を、関係を壊すこともある。そんな麻希を由希は見張る。いや見張ることしかできない。彼女は麻希をいつまでもそよ風へと変化させられないからだ。麻希は由希の意志を超えて心の赴くままにそよ風に、夜風に、突風になってしまうのである。

由希が麻希に執着することはよく分からない。それは演出の不出来で理由が発見できないからということもできる。だが他者への思いも風のように意志を超えているのかもしれない。ただ思いがよぎり、溢れるのならば、私たちは見張ることしかできない。

そう考えれば登場人物に到来する出来事も風のようかもしれない。
麻希が記憶を失い、由希が声を失い、祐介が人生を失うことも彼らの意志を超えた出来事である。例えそれに起因する出来事が彼らの働きかけであったとしても。彼らにこの結果は予測できるまい。
ならば風のような出来事をただただ受け止めることしかできないのか。
いや違う。見張るのだ。

風は意志を超えた現象だ。けれどそれを見ようとすること。在ろうと認識すること。由希が声を失っても、麻希に会おうとするように。だが麻希はもうカオルになってしまった。風は変化してしまうし、意志の通りにならないかもしれない。

それでも、風が吹く世界を私たちは生きなければならない。

蛇足1
意志を超えた現象として由希の持病があるだろうし、由希の母と祐介の父の恋愛があると思う。そして風に身を任せようとするシーンにヤンチャな男との情事があるのだと思う。所々で吹く風の音もなんか素敵だ。

蛇足2
音楽も風のようなものかもしれない。その場で奏でられる偶発的な現象として。ならば映画もか。

蛇足3
演劇のようなセリフ回しと発話もなんかいい。これはこれで演出としていい。