KnightsofOdessa

私たちのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

私たち(2021年製作の映画)
3.5
[私たちの記録、私たちの記憶] 70点

2021年ベルリン映画祭エンカウンターズ部門作品賞受賞作品。夕暮れ時、郊外の草原で森の縁を見る貴族風の服を着た親子。やがて鹿が一頭現れ、彼らと遠距離の見つめ合いになる。現地人と移民、過去と現在という二つの世界の境界線を探り出す本作品を象徴するかのようだ。本作品はセネガル移民二世の監督が、パリに暮らす移民やその子孫たちの日常風景を切り取り、モザイク状に構成されたそれらの断片から移民たちの過去と現在を垣間見る作品である。映画のアイデアはパリとその近郊地域を南北に貫くRER Bの線路に沿ってハイキングしたジャーナリストの本から来ているらしく、様々な社会階級の人々が暮らす様々な地域を無機質に結ぶ線路を背骨に、フランス社会そのものを覗き見ようというものだ。カメラを意識しないフィクションのような情景から、監督本人がカメラの前に登場するシーンまで様々な形態の真実が並べられており、さながらドキュメンタリーの定義に対する挑戦状のようでもある。基本的には一つのシーンに対して一つのアプローチをしているが、唐突にカメラが意識されて我々が映画の参加者になるかのような数度のショットはやはり忘れ難い。

最初の主人公はマリから来た黒人の男である。彼は仲間(親戚?)とともに車で生活し、廃車から部品を頂戴して生活しているが、マリに残してきた母親には"車を送るよ"と見栄を張り、20年近く帰っていない故郷を思う。彼の挿話と直接的に関わるのは監督の父親の生前の映像で、1966年に渡仏してから定年まで一度も仕事にあぶれなかったという言葉だろう。両者の言葉と記憶から50年を隔てた時間が画面から押し寄せてくる。二番目の主人公は監督の訪問看護師の姉で、彼女が薬を整理するなどの世話をする間、高齢の患者たちは嬉しそうに昔の出来事を語り始める。世代や人種などの壁がありながらも時間や記憶を共有するという空間こそ、監督の求めていたものなんだろう。それは、1995年に亡くなってしまった母親の記憶とも重なってくる。唯一手元に残ったのは、亡くなる直前に撮った20分弱の短いテープだけで、そこでも母親は画面の端にちょこっとだけ、いつでも逃げられるよう準備するかのように登場するのみだ。本作品は、そんな失われる記憶と記録、たしかにその人がそこにいたという記録(ゲットーに入れられた少年たちの手紙ともリンク)という側面も含んでいるのだ。

終幕とともに現れる題名"私たち"には、ここまで様々な個人の物語を見せてきた監督なりの皮肉を感じた。この言葉はあまりにも多くの人間を飲み込んで言い表すには単純すぎる。非常に興味深い作品だったが、少々"喋りすぎ"な気もする。ミステリアスな部分や余韻を残しても良かったと思う。
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