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茶飲友達のbluetokyoのレビュー・感想・評価

茶飲友達(2022年製作の映画)
4.1
もろに最後のちゃぶ台返しを食らった。いやあ、やられたな、という感じよりも、いまの時代の生々しさが、ヘタなドキュメンタリーを見るよりもより切実に実感させられてしまうのだ。こういう方法もあるんだというところではある。一見すると、「おくりびと」のようなお仕事映画なのだが、よく考えてみたら、そんなことは根本的にあり得ないわけである。そのあり得ないという部分が、いまの時代の、欲ボケ、貧困、寂しさ、表面だけの明るさ、そういったことを照射してくれる。

一番印象に残ったのが、望まぬ妊娠をした千佳。ティー・フレンドのスタッフの一人。異次元の少子化対策といったところで、まやかしであることがよくわかる。妊娠がどれだけ、当事者の負担になってしまうのか、実は、まったく、そのことが考慮されていない。貧困をなくすことこそが、少子化対策だというのに。
なぜそうなってしまうのかというと、いまの社会が、貧困層、負け組を放置しておきたいからだ。これでは、妊娠=負け組、という構図は永遠に残ってしまうことになる。
ティー・フレンドが崩壊するとき、千佳は、すぐに現金がしまってあった部屋に行って、あるだけのカネをかっぱらって、ダッシュで外へトンずらしていく。本当に悲しいシーンだ。

色っぽいミチコさん、かっこいいカヨさん、初々しいワカバさん。そういう輝き方が、妙に寂しい。そんな輝きでも、その輝きがなかったら、たんなる俯いて、おどおどして、そうして歩くだけの老人の人生だ。これが、人生100年時代の正体なんだろうか。人生100年を謳歌するのは、勝ち組だけだ。勝ち組が、そのアドバンテージを100年維持したいがための人生100年時代なのだ。

佐々木マナが、最後、警察に拘留されているとき、面会に来たのが、仲良くなった松子さんや、スタッフたちではなく(来られるわけはないのだが)、いかれた母親だというのが、まさに悪夢の血統主義のなせるわざだな。家族=血筋だからそうなる。養子縁組か婚姻でもすれば、家族ではあるけど。遠い親戚より近くの他人、とか言っても、それは表面的な言葉に過ぎない。

自分の孤独を他人の孤独を弄ぶことによって満たそうとするな、と警察関係者みたいな人は言い放って、マナは論破されてしまった。論破してドヤ顔の人間も勝ち組や富裕層にでもならなければ、どの道、哀れな孤独地獄の老人に落ちていくのは確実なのにね。

最後に、時岡老人が、ティー・フレンドに電話してみるが、電話がつながらないので、へなへなと座り込んでしまうのが侘しい。
カネで解決できないことがあるとするなら、じゃあ、欲ボケの社会が、そうした問題を積極的に解決しようなどと思うのだろうか。絶対に思わないことは確かだ。逆に、なんでもかんでも民営化して、カネ儲けの種にしてしまう。そうして、貧困層や負け組を大量生産していく。
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