視力

ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーの視力のレビュー・感想・評価

5.0
見ました。面白かったです。

マリオの映画がいいなと思った理由に
「登場人物の顔を覚えなくていい」
「ストーリーを理解するために頭を働かせなくていい」というのがありました。
極めてゲーム的な視聴体験と言いますか、身体的な反応で見れちゃう。

あと、個人的なゲーム嗜好性で言うと僕は格闘ゲームやパズルゲームが苦手で、基本的にマリオとかドンキーコングみたいなジャンプアクションゲームしか楽しめない、というのがあって、そこら辺が絶妙に刺激される映画だったと感じました。肉弾戦、頭脳戦の薄さ。全年齢対応だからだと思うけど単純明快。

なんかやっぱり、
「移動」の面白さがマリオ映画の気持ちよいところだったと思う。

それと、

ゲームというものの擬似体験性と、

映画というものの追体験性の、違いも感じました。

ゲームの特性は擬似体験性だと感じるので、脳内補完が容易く行なわれてしまうのだと感じます。

横スクロールのスーパーマリオが顕著ですが、我々ゲームプレイヤーは画面の中をその世界の全てだとして神の視点で主人公を操作します。

この時、操縦先であるマリオに感情移入をそこまで深くしていないと思います。し過ぎるとプレイに思い切りが生まれないし、だからこその現実では体感出来ない運動神経を駆使することが可能だからです。能動的な楽しみ方。

それに引き換え、映画の特性は追体験性です。むしろ主人公に感情移入しまくります。キャラクターへの没入が100%達成されなくとも物語や世界観に整合性を求めそのリアリティによって情報密度を堪能します。もっと例外的な視点で言えば、それが抽象的で難解な作品だったとしても、その奥にある監督の意図を読み解こうとする、という楽しみ方があります。これらは全て、受動的な楽しみ方です。逆を言えば、映画そのものには視聴者が「操作」できる余地がないという事です。

この違いがこのコンテンツをどう評価するか、受け手の視点によって左右される率が上がる事を意味しているのだと感じます。





やはりマリオをある程度プレイした事があって(特にやっぱり、64以降の3Dになってからの横スクロールじゃないマリオが体感的に染み付いているかどうかがメイン)キャラクターやアイテムがどういう意味のものかを把握していればしている程に答え合わせ的に楽しめる構造になっていて、それが今までプレイしてきたマリオを想起させ、自身のプレイ遍歴を自動的に重ね合わせてしまうために、鑑賞後に勝手にクリア達成感を味わってしまうのだと思います。下手したら映画館で鑑賞をするという行動そのものに操作欲の刺激があるために、批評行為へのバッシングが目立っている可能性もあるのでは?と考え過ぎてみたりしちゃいます。

なんて事を言っていたら、

マリオをプレイしたくなってきました。
視力

視力