どらどら

マイスモールランドのどらどらのレビュー・感想・評価

マイスモールランド(2022年製作の映画)
4.7
- もう、頑張っています

彼女たち家族は、明らかに不正義の被害者だ
彼女たちがどれだけ努力しようとも
周りの人がどのような善意の手を差し伸べようとも
決して乗り越えられないほどの、あまりに大きな不正義

しかし、彼女たちを不当なほどに不誠実に処する人が果たしていただろうか?
難民認定の不認可はここでは覆らないという職員
不法就労はできないという店長
家賃を払えないなら出ていってもらうしかないという大家
彼らのあの苦渋の表情を見てなお、不誠実だと罵ることはできるだろうか?

不正義を引き起こしているのは、この国のシステムだ
極端に低い難民認定率と非人道的な入管
これらを許しているのは私たちではないか?

“ナイーブ”な感覚を取り戻し、不正義を塗り替えねばならない
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入管システムの不正義と対峙したこの映画は、とても静謐だ
焼くような怒りも、深い絶望も、ほとんど表に出てこない
彼女たちはただひたすらに、心の内で怒り、泣き、声を上げることはない
それはなぜか
怒りを通り越すほどの怒り、絶望を通り越すほどの絶望でしか、ないからである

だから「ナイーブ」なものたちはそれはおかしいとはっきり言う
聡太は「しょうがなくなんかない」と怒る
ロビンは「どうしてパパは帰ってこないの?」と悲しむ
それは、特に聡太のそれは、あまりにナイーブだ
そしてラスト、ロビンに語らせる言葉は子供の無邪気さに語らせすぎだとの見方もあるだろう
でも、僕はこの映画はそれを確信犯的に使っていると思う
この「これはおかしい」というナイーブな感覚こそ、この世界の残酷さの複雑さに圧倒されずに立ち向かう、唯一の方法なのではないか

ラスト、サーリャは全てを塗り替える
そのルーツを否定することも背負うこともなく
サーリャは、自分の生と対峙する
その美しさに感動する己のナイーブさを、私たちも発揮させねばならない
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クルド人と民族問題
入管の非人道的なシステム
日本における外国人への視線(ドイツイジリ、ガイジンさんなのに!、国に帰れ!)
それらを盛り込んだ本作は、分福の新人監督らしいリアリスティックで過剰な演出を排した構成で、静かに問題の複雑さと深度を伝える
監督自身のルーツ、主演の嵐さん自身のルーツ、そしてそれらが引き起こしてきたであろう葛藤と痛みと誇り、そういった実のあるものをベースに作られたのであろうことがよくわかる、強靭な、そして語られるべき物語だ

監督自身だけでなく、嵐莉菜という新たな才能も世に知らしめた本作は必ず語り継がれる作品になるし、そうしなければならないと強く思う

パッと見ると、ここまでのことが行われているとは知らなかった的なレビューが多いですが、いろいろな文献•ドキュメンタリーが数多く、それも傑作が、入管をめぐっては生み出されています。
クルド人の背負っている歴史も含めて、今まで縁遠かった方々(本当は縁遠い人などいない)が知るきっかけにもなれば、そんなに素晴らしいこともありません。
群馬の館林が日本のロヒンギャコミュニティになっているように、川口はクルドコミュニティが形成されています。クルドに限らず、複雑な歴史性を背負わされ、日本でも差別としか言いようのない迫害を受けている民族は大量にあります(いわゆる「在日」などその最たる例です)
それを自分ごととして捉えることこそ、まずは必要な態度だろうと思います
どらどら

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