このレビューはネタバレを含みます
アインシュタインから数十年経って
物理学は人類を滅ぼす武器を開発した。
使わないとその恐ろしさはわからない。
悔しいが本当にそうだと思う。
その恐ろしさを知りながらも尚使おうとする人がいるのだから。
なぜ広島や長崎のシーンを入れなかったのかと聞きたい気持ちはわかるが、それはオッペンハイマーよりも現代の私たちがより知るところだ。彼は広島の写真から目を背けた。彼は自身が生み出したものの結果に対峙することができなかった。しかし彼の視線の先にある悲劇を私達は知っている、あるいは積極的に知ろうとしなくてはならない。
ネトフリ版「三体」や「エターナルズ」では技術の発展や開発者の行末が大量殺人兵器であってはならないと原子爆弾を過去の過ちとして表現するシーンが出てくるが、ついにその感覚が現代の共通認識になりつつある。
それを前提として、ノーランはオッペンハイマーの視点から、原爆を作らせたのは時代であり、戦争であり、政府であり国民であるという事実を映し出した。開発者の罪を断罪するだけでは意味がない。誰がそれを望み誰が使おうとしているのか注視しなくてはならない。
ノーランが今回これを題材に選んだことに私は希望を感じる。この映画を元に、連鎖反応を「ニアゼロ」ではなく「ゼロ」にしなくてはならない。
それにしても劇伴最高だったな!