猫の輪郭

オッペンハイマーの猫の輪郭のネタバレレビュー・内容・結末

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

途中置いてかれました。
人名が覚えられない!
何が起きてたのか調べてから、もう一度見たいと思う。(評価も)

知的好奇心に突き動かされてしまって、この世に生まれてしまった取り返しのつかない発明品、事の重大さの割に当の本人には、ずっと責任感や主体性を感じられなくて、作った後はラブホに誘われる女のよう。周りの決断にゆらゆらと流されていくだけ、一応小分けに罪悪感を解消するために、物憂げな顔してみたり、水爆には反対したりするけど、強硬手段には出ないし、強く立場を表明することもない。
あんな事をしておいて、安定剤や睡眠薬の一粒も飲んでない(洋画なのに)

女も殺してるけど、そんなに病んでない。
(作中スポットが当たってない)

水爆を使用するか議論するシーンで、彼の頭の中に、人々が足を踏み鳴らす轟音が響いて、この時はこれが何の音なのか分からなかった。
つまり水爆に対してどういう感情を抱いているのか、このシーンの時点ではまだ分からなくてとにかく何かに責め立てられている。

その後その足音が、原爆投下成功後に国民に喝采を受けるシーンだと分かる。
コイツやばい!!!
賞賛される高揚感。名誉欲。
原爆を落とした後にも、頭によぎる誘惑。
(友人は、その後の人々の痛みのシーンも込みでの足音のサインと言っていました)
(だから罪悪感や葛藤とも取れる)

そして、原爆投下成功後の講演会の会場では、核の炎に包まれる人々の痛みがフラッシュバックする。やっとここで自身の罪を理解する、そういうシーンは一応あるが、起こってる事の重大さから考えるにあまりにも小ぶり。
そりゃそうだろ、そんなん最初から想像できた範囲だろと思わずにはいられない。
そういう主体性の無さというか、悪人にも善人にも、加害者にも被害者(殉教者)にもなりきれない、実体の無さを(少なくともこの映画の中で描かれる)オッペンハイマーという人物に、終始感じた。


映画冒頭、雨の滴が水たまりにポツポツ落ちて円形の波紋が広がっていく様子は、原爆のメタファーのようだか、それをただ茫然と見つめるだけの彼の表情が、その態度が、最後まで一貫して続いていた。


※実際のオッペンハイマーの写真をみると、三島由紀夫みたいな表情をしてる。
ずっと気張ってるというか、かなりナルシシズムを感じる。
ノーランには、そういう英雄像を否定する意図もあったのかもしれない。
なにが「原爆の父」や。

あと意外と、開発もみんなでやってるし、ソ連に先越される瞬間もあるし、明確に個人の凄い発明みたいなシーンはないのも面白い。
彼がこの世に存在しなくても、いつか原爆は生まれていただろう。
2001年宇宙の旅で最初に骨を手にした猿と同じ。ただ、”一人目”になったのがオッペンハイマーだった。

自分のコントロールを遥かに超越したものを生み出してしまった男、手のひらから逃げて始まる連鎖反応。

・結局最後まで大した責任感も感じてないんじゃないコイツ、どうなの?
・核が生まれた後の世界は、結局どうなってしまうの?
→ラストの顔

「やっぱり、ダメでした。。。」
ズーーーーンみたいな終わり方は、問題を現実世界の僕達に返却されるようで、深刻で不気味。

冒頭、水たまりに落ちていた雨の滴は、最後の最後にミサイルに姿を変えて、地球に降り注ぎ、映画は終わる。

プロメテウスの火が存在する世界に今も生きている。(最悪)
ひとりの人間の知的好奇心によって。(最悪)

そして、その好奇心は、原爆をテーマに壮大な映画を撮ったノーラン自身にも感じる。
(本当はヤバい映画撮りたかっただけなんじゃないの?)
(映画史に残る爆弾を作りたかったんじゃないの?)
だって明らかに2001年宇宙の旅意識してますやん。
正直ちょっとはしゃいでますやん。
映画監督なんて衝動の奴隷だろ。

IMAXカメラ小僧。

原爆をバックにドーンとオッペンハイマーが仁王立ちしている広告を見て、ゾクゾクしながら映画を見に来てしまった観客達も同じや。
実験場でのシーンで、爆発までのカウントダウンが始まって、今から人類の悲劇的な武器が誕生するのに、ドキドキしてしまった自分に気がついて残酷だった。性格が悪い。
猫の輪郭

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