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オッペンハイマーのKtoのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
5.0
【全体的な感想】
最高でした…。

(友人とやっているpodcastでも語っているので、こっそり宣伝します↓
https://open.spotify.com/episode/2Ym5PDvyXhUT0RcWuQZiEE?si=B8EWhvx0Q0W3Rc8jz6ftmw )

尋問型の会話劇を軸に、「扇状回想法」の形で展開していく史実に基づいた科学者の”政治”サスペンス。
扇状回想法は代表的には『タイタニック』や『ソーシャルネットワーク』で用いられているシナリオパターンだけど、オッペンハイマーが際立って複雑なのは、時制の異なる”尋問”が2つ(下記の①、②)並行して進むことと、更にそれらの”尋問”も”回想”も時系列に沿っていないことが要因だろう。

しかし、それらの時系列操作も徒に観客を惑わすためではなく、それぞれの葛藤のカタストロフィーを終盤にまとめるための演出だと分かる。例えば聴聞会での尋問も、不自然に途絶される編集が多いが、終盤でそれらを再開し、「なるほどこの人はこういうことを言っていたのか」と勿体ぶる感覚。それ故に、ストーリーが複雑で細部への理解が十分に追いつかなくても、終盤に畳みかけてくる展開には圧倒される設計になっている。

これは冒頭でニールボーアが「楽譜を読めても意味はない、楽譜を見て音楽が聴こえるか?」と言うように、時系列を解読し物語をロジカルに理解することは本質ではなく、音楽や映像的な美しさも含めて映画を一つの芸術として体感することが本質であると暗示しているのかもしれない。

脇を固める俳優陣が、豪華すぎて一瞬も目が離せない感じは、気高い政治サスペンスである『裏切りのサーカス』を思い出した。


①オッペンハイマーが共産党との関わりを疑われ、原子力関連のアクセス権を剥奪される(≒事実上の公職追放)聴聞会(closed hearing)の章 =”FISSION”パート=カラー
②ストロースが閣僚になる資格を問われる公聴会(public hearing)の章=”FUSION”パート=白黒(史上初のIMAXモノクロアナログ撮影らしい)

【ストロースは助演じゃなくて主演級】
大島育宙さんのYoutubeでも言っていたように、オッペンハイマー vs ストロースというタイトルでも良いくらい、ストロースの重要度が高い。
『インソムニア』『プレステージ』『ダークナイト』に続いて、二人の人物の泥試合を描く要素もある。
NYC出身で生粋のインテリであるオッペンハイマーと、彼に無神経に傷つけられて(「卑しい靴売り」と呼ばれたり、公衆の面前で物理学の知識がないことを小馬鹿にされたり)個人的な私怨を抱くストロースの構図。
これは、ノーランも公言しているように「アマデウス」のreferenceもあるという。偉大な存在に一方的に私怨を抱き、陰で復讐を企みたいという気持ちは、非常に人間臭く、泥臭い感情である。

「卑しい靴売り」出身で叩き上げで政界まで上り詰めたが、肝心の物理学については当然素人である故に、池のほとりでアインシュタインとオッペンハイマーがこそこそ話していた内容を「自分への悪口だ」と被害妄想してしまうほどのコンプレックスを抱いている。そして、立ち話の内容が最後の場面で明かされる時の虚しさは、宮部みゆきの『模倣犯』にも近い虚無感だった。途中で反感を露わにする部下の、最後の一言が爽快。

個人的には、強いコンプレックス故に他害的な行動に出てしまう人間的な弱さが、どうしようもなく現実的であり、ストロースに肩入れしたくなる感覚も湧いてきた(ロバートダウニーJrが素晴らしい…)。愛さざるを得ない…。

【キャラクターの濃さ】
オッペンハイマーをはじめ、多くの人物が英雄的な動機を一貫して維持していないのが面白い。

まず何より、トリニティ実験で地球が破滅する可能性が「ほぼ0(=僅かに可能性がある)」の中、スイッチを押す感性が狂気的である。ノーランもインタビューで答えているように、この映画を作成する契機となったのが、まさにこの「科学的好奇心と地球の破滅を天秤にかける葛藤」であり、映画の主題でもあると感じた。僅かながら「破滅する可能性がある」のであれば、投下や実験は避けるべきだと思うが、それを嬉々として進めるのはギャンブル的であると感じた(それが吉と出て、偉人の称号を手に入れている)。

一貫性のなさで言えば、原爆の開発には全力を投じるものの、実際に原爆を落とすまでは投下を否定する意見に署名しないし、投下を積極的に推進していないとはいえ、強く否定もしない(科学者の好奇心や、開発に費やしてきた諸コストのためか)。一方で、投下後は軍拡戦争を懸念し、明確に水爆開発を批判する。
このように、物理学の才能に比べて、政治的な判断力や道徳心はnaiveであることはオッペンハイマーも弱さであると感じる。その弱点故に、背負ってしまった業績が重くのしかかってくる後半の展開や最後のアインシュタインの言葉は、辛辣である。

他の主要キャラクターも、各々の立場で適宜合理的な判断をしているのが、現実的で面白い。
グローヴス将校も、背景に問題ありなオッペンハイマーを、その物理学の実力を見込んでマンハッタン計画のリーダーとして抜擢する手腕がある。これは、思想的にクリーンであることよりも実力を優先して見る米国的な合理性があって、カッコいい。オッペンハイマーの多少の問題行動にも、目をつむってあげるし。パッシュを飛ばしたりするのも、静かにアツい。
聴聞会でも、「ガイドラインにしたがったらオッペンハイマーへアクセス権を付与するか?」という誘導尋問に対し、「現在のガイドラインに従えば、誰にも渡さない」という回答にとどまっているのも、静かにアツいよね…。

ラビの良い奴感も素晴らしい。ガリガリのオッペンハイマーに、いつも「食えよ」と食べ物を渡してくる感じが、かわいい。後半のオレンジにも効いてくる。尋問中に、慎重に言葉を選びつつも、科学者同士の友情や連帯が滲み出る感覚がこの上なくアツい…。

水爆の父であるテラーのキャラクターも良い。俳優のベニーサフディはこの役のために、英語の訛りを習得したらしい…。トリニティ実験での丸いレンズを見て、キューブリックのDr. Strangelove を思い出したけど、どうやらテラーが主人公のモデルらしい。

【ストーリー以外の感想】
音楽、音響、映像が凄い。
常に音楽が鳴っていて、オッペンハイマーの複雑で両価的な感情を克明に表現している。ヒロイックに演出しすぎない抑制された音なんだけど、緊張感が途切れない。
SEも映像も基本的には「実物」主義を徹底しているらしい。
特に素粒子レベルのイメージ映像は非常に芸術的で、Len LyeやOskar Fischingerなどの幻想的でサイケデリックな映像を想起させる。2001年宇宙の旅の、最後のサイケデリック映像も想起する。
しかも撮影手法は今回もアナログらしい。狂気だ。
極度の浅い被写界深度(強いボケ感が出る)の撮影も、IMAXでの人間心理の描写に大きな役目を果たしてた。
めまいが起こるような抽象的な撮影にもなっていてすごい。これは逆説的に、高画質であるIMAXだからこそできる表現だろう。

【個人的に好きだったセリフ】
「キッチンがないじゃない」「そう?じゃあ作ろう」
「お前は科学者だ、そのクソ軍服を脱げ」

【メモ】
・最後の「ジョン・F・ケネディ」については、彼の側近たちがオッペンハイマー支持者であったため、一度公職を追放されたオッペンハイマーの名誉を回復させる動きが出始めたらしい。
・今回は、カメオでもマイケルケインがいない
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