垂直落下式サミング

オッペンハイマーの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
5.0
学生の頃から実験は不得手だわ、癇に触る先公のリンゴに毒入れるわ、研究者としては他の天才に先を越されまくってハッキリとした学術的な成果はあげてねえわで、愛想のなさが災いして政敵は作るし、男としても昔の女に未練タラタラで、友人の奥さんと不倫してばっかで自分の嫁の機嫌はとれねえ、子供が出てくるシーンはグズらせてばっかで育児もろくにできねえ、あげく新居にキッチンも作らねえ、いったい何ができんだオメーは!?原爆が作れるよッッ!!!!!
『東京タラレバ娘』で、ダメ男が好きな映画にノーラン作品が挙げられていて、そんなにか?と疑問だったのだけれど、なるほど、そんなにでした。
ノーランの描く男は、女に救われているくせに共感力がなくて不誠実なんですね。本作で描かれる主人公オッペンハイマーの実生活は、甲斐性なしバカに共感しやすい細かいディテールにこだわり、これでもかってくらいだめんずっぷりにクローズアップしている。
問題のある男、ロバート・オッペンハイマーだけれど、史劇として大事なのは、その功績の部分。の、ハズなんだけど…。「原爆の父」なんて呼ばれているから、コイツがいなければ原爆はできなかったくらいの大天才で、人類史の最重要キーパーソンなのかと思っていたら、別にオッペンがリーダーでなくても他の誰かが核兵器は作ったと思う。遅かれ早かれできた。彼は間に合わせたから偉かった。案外そのくらいの認識。そもそも、この人は爆縮の研究チームを率いたのであって、原理を発見したわけでも、原材料を作ったわけでもない。
研究よりも、まとめ役みたいなのが、性にあってたのかな。彼が責任者に任命されたロスアラモス研究所は、機密漏洩やスパイだとかには超厳しいのに、防護服も着ていない研究員のすぐ隣にプルトニウムが仮置きしてあったりして、放射性物質の扱いの軽さにぞっとする描写がいっぱい。
トリニティ実験に関わった科学者たちは、その多くがだいぶ早死にしたらしい。当時は、被曝の危険性もハッキリとはわかってなかったからだろうけど、頭いいインテリがプルトニウムだかウランだかをひょいとゴム手みたいので触ってるのとか、ちょっとオイオイって感じでした…。
あくまでも、主役はロバート・オッペンハイマーなものですから、核開発の史実ものとしては、省かれているところも多い。近代史の暗部なもんだから、すんなり英雄譚とはいかない。
サイクロトロンの研究をしてて、プルトニウム製造を担当したアーネスト・ローレンスってもっと重要な役だと思ってた。ガタイがよくてエロい。テラーやフェルミもちょっとしか出ない。イケおじボーアもチョロっと。
超重要人物であるはずのノイマンにいたっては、ぜんぜん出てこない。コイツはキャラがたちすぎてて、主役のオッペンハイマーを食ってしまう恐れがあるからか。日本人の心を折るために京都に落とせ、ソ連が完成させる前に先制攻撃しろ、水爆開発推進も大賛成だぜ、とかいうヤバいストレンジラブだもんね。出てきたら悪役になっちゃうから…。
敵として出てくるのは、政治家のストローズっていう人。白黒がこの人の視点。マンハッタン計画のことはある程度知ってたけど、そのあとの公職追放の件はよく知らなかったから勉強になった。
オッペンハイマーは、人生の後半は水爆推進に反対したことで、過去の共産主義者との交際からスパイ疑惑をかけられて失脚してしまうが、反論したり言い返したりもするけれど、彼は覚悟は決まったとでも言うような面持ちで毅然としており、原子力という火を人類に与えてしまった罪を背負って十字架にかけられることを受け入れた殉教者のよう。強がりに見えなくもないけれど…。
ノーラン監督の映画は、常に「あの日に帰りたい男」のはなしをしているけれど、後半のオッペンハイマーは腹の決まった風であるから、女々しいのは前半だけ。自身の行いに後悔はあれど、やり直したいなんて思ってなさそうだなあと感じていたんだけれど、ラストシーンでみんな知ってるある超有名人と話すところに時系列が戻ってくることで、なるほど意味が繋がる。背負い込んだもの、アンタなら理解してくれるはずだって、すがりたかったのね…。どこまでも人間味のある人だなあ。しっかりと愚かしい。
科学者として自分の理論を検証したかったために、止めれるタイミングで行動を起こさなかった彼の罪について、後になって擁護しすぎるのも糾弾しすぎるのも違う気がする。
ただ、あの惨状を知らされて、これはヤバいと感じて核開発反対派に回ったのだから、人類の叡知を探求する最前線にいた人たちの一部はマトモな感性を持っていたのだと、そんな救いを感じました。
オッペンハイマーが、広島への投下を知り、浮かれている職員たちの前でスピーチをするとき、皆は勝利と成功に沸いているのに、原爆の何もかもを知り尽くしている自分だけは何が起こったかわかって克明なビジョンを見てしまうところがすごくホラーで、アメリカ映画でこういう視点が入ってくるのは、素直に進歩を感じて素晴らしいと思った。
原爆投下は正義の鉄槌であり正しかっただなんて言いませんが、勝敗を決定的にしたという点においては、確かに正しい意見であると思う。
本来なら必要のない攻撃で死体蹴りしたことについては、そりゃあヒデーと思いますけども、当時のアメリカの一般大衆にしてみれば、ヒロシマ・ナガサキに原爆を落としたことで日本が降伏し、このままだったら本土侵攻作戦に動員されるかも知れなかった人や、捕虜になっていた人たち、帰りを待っていた父親や息子や恋人が命を落とさずにすんだのだから、そりゃあ戦後ベビーブーム世代の人たちにとっては、アトミックボムは正義と勝利の象徴であり、自分がこの世に生を受けることができた理由でもあるから、その認識は覆りようがないと思うんだよな。
日本は日本で一億総玉砕とか言ってたバカ国家だったわけですから、あのまま圧倒的な力を見せつけられてなかったら、ガチで民族そのものが竹槍のバンザイアタックで滅んでた気がするんですよね。
インチキ臭い国民のざれ言だと思ってくれてかまいませんが、アメリカという国が信じるに値しないのと同じように、程度の違いこそあれ日本という国もなかなかにデタラメであるように僕の目には見えるのです。
だからと言って、落とされた側としては仕方なかったとは口が裂けても言えないし、そんな情け容赦ない理屈には同意しかねるっての。どうして?って思うし、怒れるし、悲しいし、亡くなった人のことを考えるだけで辛い。子供の頃に公民館で観たアニメ映画版はだしのゲンの鮮烈な記憶がフラッシュバックして、感情をネジれさせる。
戦後、憲法第九条を持ち、警察予備隊を組織し、非核三原則と核拡散防止をとなえ、アメリカの核の傘に守られながら、原発で作った電力を使って生活してる。言ってることとやってることの整合性がガッチャガチャしてワケわかんねえ民族の気持ちは、この文脈を踏まえたとしても、そうとうに拗れているようです。
こんなのは、僕の主観の色眼鏡でみた映画の外側のハナシですから、これをどう思いどう感じるのかってのは、人其々ってやつでしょう。
アカデミー賞。量子物理学大好き文系ノーランニキ、ついに本丸。アメリカン・プロメテウス。にしても、よくこんな題材の時系列難読映画が、アメリカで大ヒットしたよなぁ。前評判に違わず、重厚なハリウッド大作映画でした。クリストファー・ノーランの仕事としても、映画文化への貢献という意味でも、決定的な一本になったのではないでしょうか。