レインウォッチャー

オッペンハイマーのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
3.0
あのぅ、これは大暴投であることを承知なのですけれど…もしかしてクリストファー・ノーランさんって、『オッペンハイマー』に向いてなくない…っすか?

さてまず初めに、この評価は「ヒロシマ・ナガサキ描写がヌルい」周りの件によるものではないことを断っておきたい。

というのも、そのへんを期待するべくもないことはハナから分かりきっているからである。去年のBarbenheimer騒動からもわかるように、向こうの認識レベルなんてこの70数年大して変わらず所詮「その程度」。
だから、漸くとはいえ今作のような映画が大メジャーフィールドで作られて評価もされている時点で、肥満児の赤ん坊が初めて歩いたときのような気持ちで「わ〜えらいでちゅね〜」とホメてあげるべきなのだ。

それは、今作の冒頭から既に伝わってくる。人類に火をもたらした神プロメテウスの喩えというベタもベタなネタがマンキンで披露されるのであるが、わたしは失笑と共に早々に席からずり落ちて延髄を強打し、点滅する脳裏にはある悟りがテロップで流れてきた(※1)。
「ああー、C・ノーランなんていう力のある映画監督をもってしても、今やっとこの地点なんだ」と。

そう、C・ノーランがパワフルな映画を作ってくれることはこれまでで十分証明されているけれど、その力は万能ではない。使いどころをミスれば、本懐を遂げず終わってしまう。
奇しくも、それはまさしく優れた知性の探求を核という大量破壊兵器に具現化してしまったオッペンハイマー…というか人類そのものとも似て。

わたしは、C・ノーラン映画の振り切れた魅力って純粋な「映像化力」だと考えている。『インターステラー』にしても『インセプション』『TENET』にしても、「「「これを画にしたい!!!」」」という原初の欲と飽くなきチャレンジが追求され尽くされた結果、わたしたちに映画館で映画を観ることでしか味わえない意味を教えてくれる。
そのぶんストーリーやテーマは意外と(恥ずかしげもなく)ベタだったりして(※2)、頻出する時系列シャッフルは、そんな実はシンプルな筋に多少なりとも緩急を持たせる機能的な工夫の意味合いが大きいと思う。

今作でも時系列(と視点)が錯綜し、これが複雑で見づらい・難解だという感想も多く見かけるけれど、わたしとしては寧ろこれがないと3時間も興味が持続できず轟沈していただろう。
なぜなら、この映画は「伝記映画」でも「原爆映画」でも、ましてや「至高の映像体験ができる映画」でもなく、「おじさんの顔を交互に見る映画」だから(特に後半にかけて)である。

ホワイ。ホワイノーラン。

いやもちろん、ノーランらしい、これを観にきた、と感じられる瞬間はある。オッペンハイマー(C・マーフィ)の脳裏に渦巻く理論のイメージ表現や、誰もが圧倒され恐怖を覚えるであろうトリニティ実験の爆破シーン(※3)、オッペンハイマーが苛まれる罪悪感を具現化したヴィジョン、等。
ただ、これらはどれも「まあやるよね」とあらかた予想できた品々であると同時に、明らかに分量としては室内の会話&政治劇が占めていて、読経のごとき台詞台詞台詞、カメラは切り返し切り返し切り返し…という石積みの行を強いられる。

これ、コトの経緯を知らない人にとっては付いていくのがしんどいし、既によく知っている人にとってはひどく退屈なのでは…?わたしはざっくり把握してるくらいのステータスだったけれど、「これなら本読みます」って思ってた(※4)。つまり、映画で観る意味 / 意義がさっぱりわからなかった。持病である「どうせこれ史実なんでしょ」病のせいでもあるんだけれど(これは完全にわたし個人のせい)。

この間にもどんどん前半の積み上げやオッペンハイマーのキャラクター自体が頭から薄れていって、結果的に、オッペンハイマーという人物をどのように描き伝えたかったのか支点を欠いたような印象が残り、歴史モノとしても半端だと感じざるを得ない。
あるいは、その一貫性を欠いた感じこそが《人間臭さ》であり、オッペンハイマーは神でも悪魔でもなくただの一人間で、だからこそ核は人類誰しもが抱えてゆく罪なんだと解釈してみたりもできるかもしれないけれど…残念ながらそれ以上広げて考えるほどの気力はおこらず。

あるいは、俳優の表情や演技に重点を置いて映画を観る方とか、これほどのスター俳優がずらりと揃っていることそれ自体に感動できる方であれば、満足度は高いのかしら。映像の質感はリッチだし、メイクとかも凝っている。

要するに、『オッペンハイマー』なる題材はC・ノーランが扱う(※5)には、そしてわたしが観るにはマジメ過ぎたのだ。連鎖反応失敗、実験中止です。解散!(平和な未来)

-----

※1:ちなみに、この現象は後ほど「サンスクリット語で『我は死の神』…」云々とかやり始めた時に再来することになる。

※2:「映画の中の雨」愛好家としては、開幕から予告される雨と波紋に期待値が爆上がったわけだけれど、ラスト近く明らかになるその解決にまたもやすっ転んだ。やっぱり、ノーランさんに詩的な方面の期待はすべきでない。

※3:今作一番の長所はたぶん音響。この点に関しては、いつも通り冴えまくっていた。劇伴は、ところどころL・ゴランソンが『インターステラー』をカバーしてるみたい、とか思ったけれど。

※4:「いや!こういったテーマの映画に、視覚的快楽を求めることがおかしいんだ!」という類の意見に関しては、ひとこと「じゃあ本でいいです」って言います。

※5:とはいえ、ノーランが今作をネタとして選んだことには一定の納得感がある。原子爆弾を産むに至る前提となる数々の研究・理論がなければ、『インターステラー』も『TENET』も生まれ得なかったかもしれないからだ。