ノーラン監督作品は余りにも好き過ぎて、考察含め後から余韻に浸りながら自分の記憶を鑑賞するのが楽しかった。
伝記映画は興味はなかったがダンケルクも素直に受け入れられた事、余りに豪華キャストなのが魅力である程度予習してから作品に挑んだ。
が。
ノーラン節は相変わらず各所に散らばってるが、無理やり2人目線としてあえてややこしくする意味が裏目に出、わざとらしさを感じた。
その時代の背景は粗方予習していたが登場人物の多さ、言葉の分かりにくさ含め、劇中何度も迷子になる。
でも付箋ではないのか探しに行こうとも思えない。
唯一の見せ場がトリニティ実験のカウントダウンなのだが、物理学者としての成功=核の誕生という皮肉さが日本人には痛々しい。
いつも考察を伴うエンディングなのだが、今回は
…で??
結局何がいいたいノーラン。
時系列で遊んだか?
核保有国が増えてきているこのご時世、今を生きる我々がどんな事を考えて行かないのか…
訴求要素が腐るほどあるネタがあるのに、ただ物理学者の成功と悔やみの映画だった気がする。
のび太が何故戦争してるの?と言う質問に、ドラえもんが「どっちも自分が正しいと思ってるよ。戦争なんてそんなもんだよ。」の物議の方が、奥ゆかしい。