クリストファー・ノーラン監督であり、題材が「原爆の父」と云われるオッペンハイマー、難しいのを覚悟して視聴に挑む。
これ、劇場で見てたら理解できずに終わってた💦たとえ字幕付きでも。サブスクで視聴中、耳に入ってくる英語とその翻訳の日本語の意味と量を理解するのに、一時停止したり、巻き戻し確認したりの繰り返しでハードな時間だった。3時間物を多分5時間くらいかけて見てるかも💦十分咀嚼できていないので、映画作品としての評価も難しい(賞を多数受賞していても)
下記は個人的印象の羅列…….。
⚫︎当たり前だけど、アメリカ側から見た作品
故に、被爆国である日本人の心情は横に置いて伝記物として視聴を意識した。
⚫︎ストローズが主の時はモノクロ。オッペンハイマーが主の時はカラーと変わる。それすら途中まで意味が理解出来ずにいた…….😢
⚫︎ソ連へのスパイ容疑の聴聞会は裁判では無いとしながら裁かれてる印象だし、マンハッタン計画のリーダーと祭り上げ、挙句に名誉を落とす陰謀的。
⚫︎化学者は研究結果の追求として理論の正解と成果を「見たい」のは当然だろう。年月と膨大な費用、投資した国からの圧力もある。
しかし!その先にある、起こる未来への想像力が欠落している。戦争を止める為に使用する、は詭弁だ。実際には予測した数十倍の犠牲者を出し、被爆後の影響は全く考えられていないのだから。使用後の威力に慄き、罪の意識に苛まれたからといって、パンドラの箱は開けたら元には戻らない。理論物理学者オッペンハイマーはあくまで「理論」物理だったかと、皮肉りたくなる。
⚫︎当初、ナチスドイツに対抗し、使用する為の開発とは知らなかった。それが降伏しない日本に向けられる。日本上層部のバカさも露見するが、しかし、広島長崎、次は新潟の11都市の候補が上がっていた恐ろしさ。オッペンハイマーが「日本」を指名、口にしている。使い方に責任は無いと言えるのか?
⚫︎今作は原爆の良し悪しを問うもので無く、あくまでオッペンハイマーのマンハッタン計画に関わった半生であることは承知しているが、原爆投下された被爆者である日本人としては、やっぱりやりきれない。広島・長崎の原爆資料館を訪れた時の誰の責任としていいかわからない、どこに向けていいのかわからない、やりきれない、怒りとは違う悔しさを思い出してしまう
兵器としてぜーったい、絶対使っちゃ行けない。人類は破壊する
No.1377