【3人の視点から】
優れた作品がみなそうであるように、本作も複数の解釈が可能な、直喩と暗喩にみちた傑作。3人の登場人物~❶マクマーフィー❷チーフ❸ラチェット~それぞれの視点から見ると全く違ったテーマが浮かび上がる。
❶マクマーフィー
アメリカンニューシネマが幾たび描いてきた自由を求める象徴であり、当時の共産圏国家チェコ(監督の母国)へ反抗する暗喩。
❷チーフ
先住民族であるが故に、父親を国家に「殺された」と呟くチーフ。この病院がマクマーフィーたちに施す「治療」は、そのままアメリカの先住民族抑圧政策と重なる。生きる気力を奪われたチーフの前に現れたマクマーフィー。その姿を見届けた彼は、一人カッコーの巣を飛び立つ。因みに原作小説はチーフの視点。
❸ラチェット
悪意はないが善意でもない。氷のように冷たい彼女の内面は掘り下げられないが、その白衣の肩越しにマクマーフィーたちを客観視するという視点も。そこから見えてくるのは「白人男性の弱く身勝手で下品なダメさ」いわゆるホワイトトラッシュの姿。いつか女性と黒人から復讐される恐怖を感じる白人男性もいるのでは。ラチェットが悪役だからといって単純に反フェミ映画ではなく、しっかりとアメリカの男性性を皮肉る現代的視点も備えている。
これは勝手な想像だが、キューブリックの『シャイニング』は単に主演俳優が同じというだけでなく、上記❷や❸のテーマを汲み取った意趣返しになっているように思えた。