舞台劇の様な映画でした。
置かれた場所で咲きなさい
という本が日本でベストセラーになったのはこの映画の事件の数年後…
置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。時間の使い方は、そのままいのちの使い方です。
映画内と同じくキリスト教を教えとしての著者の本です。
辛く悲しい事があっても耐える時です。もう少し頑張りましょう、それがいつか花になり実になるのです。
と私はこの本の解釈受け取りました。
しかしベストセラーになるほど世の中が受け入れている美徳が私にはどうしても受け入れ難く、
やはり自分は世間とは違う人間なのだと感じたものです。あれから10年たち
当時とても辛い日々が今も解決はしてるとは言えませんが
そうです、この映画と同じ決断をあの時私達家族はしたのです。
赦すか
戦うか
それとも去るか
私達は置かれた場所で咲きなさいを頑張って頑張って頑張ったのですが、まるで砂漠の中、または荊の中、根も枯れてしまうとなり
植え替えをする事にしました。
植え替えも大変だし、再生するかもわかりませんし、大輪の花どころか、花芽がつくかもわかりません。
私はこの映画をこの物語とは全く違う自分の人生と物語を合わせながら観ていました。
字を書けない女性達の話す言葉の難しさでちゃんと理解が出来ていないかもしれません。でも映画はその人がその人なりに受け取っていいんですよね。本の感想文の様に誰かが100点つける感想を書くのが良しではない、自分それぞれの思いでいい場所、私にとってここはとても居心地がいい場所です。
良くも悪くも、好きも嫌いも、スコアがいいも悪いも、全てジャッジされない場所でレビューは感想文でも構わない最高の場所でありがたいです。
で、映画の最後
希望の神ような余韻を残し
彼女たちはあれからどうなっていくのでしょう。
愛(恋)より選んだ再生はどうなったのでしょう。
実話は本当はどうなったのでしょう。
讃美歌320番が再生されながら想いを馳せる映画でした。