「いつの時代でも哲学者は子どもが嫌いである。けれども、僕たちはみなかつては子どもだった。ぼくたちはみな不気味なものだった。偶然の子どもたちだった。ぼくたちはたしかに実存として死ぬ。死は必然である。け>>続きを読む
話自体が左に傾き過ぎるのを、映像展開で調和する(誤魔化す)。
それでもちゃんと”チャンチャン”で終わらして来るあたり、ラッセル印。
マーゴット・ロビーがパイプを咥えて、煙をうながすシーンの美しさ。>>続きを読む
公共的な愛は、仄暗い団地に漂う”子”の無念を畏れる、全ての”親”たちを襲う。
決裂や断念、後悔や妄念、クイズやドラッグ。
全てを洗い流す、と”錯覚(=カタルシス)”してしまう程のラスト。
渡部淳之介のゴミ以下の精神性に、大昔からずっと変わらない人間の空っぽをみる。
なんか良くない感じ(飲みサーみたいな)が懐かしくて良い感じ。
アスカ辛辣。シンジ相変わらず。
レイロボすぎる。カヲル影薄。
非人ゲンドウ。
「マッチョ死ね」を周到に(しかし僅かな同情も)煽り、終盤にかけてシームレスに〈ひっくり返し〉をする手腕にぐうの音も出ない。
社会(的な正しさ)への強烈なコミットメントが一周回ってデタッチメントを引き>>続きを読む
このレビューはネタバレを含みます
「フリー・セックス」、「ヒッピー」、「ロックンロール」はやはり人知れず終わり、「私は私」などアイデンティティ云々は「2人だけの秘密」で終わる。良く出来ている。クソな神を崇めよ。
散らかった机の上に、まるで意志があるかのように立つ鉛筆。奇跡。(『NOPE』にもあった)
行城さんが味方に思えるあの瞬間に、初めて顔がアップになるのは震えた。(それ以降のアツい行城描写はやりすぎな気も>>続きを読む
チタンの子という狂気の発想。
出産に立ち会い、引き摺り出され泣き喚く赤ん坊を手に、死んだ母親に誓う、「私が育てる」、、正気の人。
音楽と踊りの挿入が冴えまくってる。
母の寝息。「お菓子食べていー?」。運転するママに食べさせ、飲ませてあげる娘。車のエンジンがかかる音。ひとりの森。
au revoir。
ほんとのことを知る必要も、ほんとのことを言う必要もないなあと思わせる小説家への、瀬戸内寂聴の愛の告白が効く。
主題が一個だけ!なのは美味くない。
亡霊が高速振動するのはとっても怖い。
古き良きパターナリズム。こんなにみんな幸せなのにこれ以上何を望むことがあるのか。
役所広司と若き海人のシーン、スーパーでの追いかけっこ、各シーンとそのポリフォニックな構成に才気がスパークルする。>>続きを読む
ふつーに結構面白い。エディ・マーフィー(山寺宏一)が面白いから。だけじゃなく歌う像と占う水晶コミカるメイドと執事も良い。
「抑圧」がなきゃエロじゃない!
イザベル・ユペールの素晴らしい演技。
『セッション』(共鳴)になると思いきやオチは真逆(破局)に落とす。妄想から解放させられる女、実にエロくない。。
『まわり道』よりは、アリスの存在感もあってストーリーはもってる様な気もするが、依然なんの意欲も持たない主人公が、なんの成長もないまま終わる。
獺祭。
観念から逃げられない男。俗っぽさから逃げようとして、結局最も俗にはまってしまう数多くの凡夫よろしく、主人公も政治から逃げようと気取るが、おそらく政治からは逃れられない青臭い文学青年である(非・政治的と>>続きを読む
抑圧してきた「男」は怖く、そこから反撃に転じる「女」はもっと怖い。しかしそんな過去の亡霊たちの餌食になってはいけない。怯えすぎてもいけない。サンディの末路を受け止めつつ、夢に溢れる若き日の彼女と、”ひ>>続きを読む
丁寧に描いてるとはおもうが、”おじさん”が語るユーチューバー一般論(劇中に自己言及あり)のアンチテーゼでは少なくともない。
『ソーシャル・ネットワーク』を観てきましたみたいなシーン。
いまや絶滅も危>>続きを読む
さかなクンはやっぱりさかなクンだから面白いし、見てて幸せな気分になるんだろうなと思った。
のんは破壊的にかわいいけど、それは普通に女の子に向けられた「かわいい」で、さかなクンに向けられる様な、ファンシ>>続きを読む