冒頭から早速自らの身体(腹部)を自力で手術するマット・デイモン。しかも皮膚の下からアンテナ器具を引っ張り出し、傷口は鏡ごしにアップ。
ヘルメスの作戦室で船員の横顔に光が移動しながら照らされていくのが良>>続きを読む
全てのショットが固有に象徴的で、他のティム・バートン作品のテンポに比べ、無機的なつながりという印象が強い。アリスの自己達成にかまけた見せかけのジェンダー論は何を覆い隠すためのもの?
幾度となく、繰り返し回想シーンに入ってしまう脅威的なまでの「遅延」のリズムは、何かを意図して作られたものだったのか。ネロの目が終始ズレていなかったのは残念。
スーパーマーケットの戦闘シーンが『キングスマン』のアクションと異なるのは、「超人」による生態生理学的な武器の発見があらかじめ決まっているようにカメラが高感知で向けられるか、カメラも追いつかない程「無作>>続きを読む
受験生の青年の部屋に乱入した女二人が、協力して母親をおさえつつ青年を犯そうとする一連のショットの強烈な持続と説得力。
回転し、孤立する島の中央で楽しげに踊る四人の青年たち。周囲に刻まれ増えていくリード痕も見事。
記念碑的なショットがひたすら続き、ただただ圧倒されっ放し。この人しかいない、という加藤晴彦の浮遊感。
捏造された心霊フィルムの中で、最も怖いものになるんじゃないだろうか、あの笑う女と昭和日本映画的ショットのマッチング。
柳ユーレイの主演作は『3×4-10月』だけじゃなかったんだ…(恐ろしくどうでもいい>>続きを読む
ロング・ショットでとらえられても失われることのない、三浦誠己の洗練された身体の「入り方」。柳楽優弥の無粋な身体的エネルギーを収斂し受け入れ、斬られ役として見事に倒れるあの運命的なショットは、三浦の存在>>続きを読む
女児の亡霊が画面手前で起き上がり登場するショット。明らかに人間ではないが実在しているという、霊の「物体」としての異質さは、他では見られないものだろう。
殺人を犯す際の、森田剛の身体の伸びやかな動きとナイフの刺さり具合の重さ。殺害シーンのリアリティに、稀に見る気合の入り方を感じた。
76分!という時間感覚の中で、死の汀に立つ若い兵士たちの声なき叫びがスクリーン上に広がり続ける。静寂と振動の不幸な律動と、「唯一の戦勝者」である誇り高き兵士の歌声。
窪田正孝の華奢な声にいちいち惚れた。福満しげゆきの作品に度々登場する理不尽な「通り魔的恐怖」を、直接的に再現してくれたのが嬉しかった。
1ショットでとらえられた、主人公の部屋から始まる崩壊の連鎖は、あの街角を曲がった瞬間、松江哲明が語るとおりの映画的勝利としか言いようのない達成を見せた。その他、片足の機能を失ったZQNが迫り来るショッ>>続きを読む
リャンの生家の自室に置かれていた結婚式の招待状を、タオが見つける一連のシークエンス。全く同じ位置から撮られたであろうカメラ・ショットは、埃の粒子までもを我々に視せるようで、過ぎ去った時間と止まった空間>>続きを読む
子どもと同じ目線に立てるのは、最早ひろしとみさえだけ。万人がこれほど救われたと感じることであろう子ども向けアニメ映画は、他に類を見ない。
SNSが生む人間関係の希薄さを表題化し、きわめて過剰な批判的表現を試みたように見せかけた前半部。主題の焦点は、社会関係の実証的な考察から、個的存在の内面的な哲学へと、それぞれの枠組みの表層的な異和を超>>続きを読む
デニスが喋り始めるのは割と中盤。教室の生徒が皆一斉に死ぬくだり、日本のパブリック・コメディではおおよそ見られない発想をしていて痛快。
マイケル・ケインと身体を密着させながら交錯する、扇情的な格好をした女性ダンサーの振る舞いと、それに続く庭園全体の水位の上昇。劇中最も示唆に富んだ、印象的な一連のシークエンス。
荘厳なる冬の大自然&無邪気なインド人監督(転向中)VSエマニュエル・ルベツキ。
カメラの持続力が強すぎて、フェイクの印象を余計に感じてしまう面も。