「愛が移ろうものと知り愛し続ける勇気はあるのか?」中国17年、激動の時代に移ろいゆく愛、Love is a streaming.
手から表情へ伝いゆく感情を見つめ登場人物の所作をぬっと凝視するようなカ>>続きを読む
大地と人と時と共に生きるということの、爆発力と儚さと豊かさと哀しさとが宿っているおそろしい映像。
フィクションとドキュメンタリーが交差し、映画の原初と歴史が渦巻く。神々しさと横移動は決別にも似ているが、切実なのはこちら。
「人々が一体にならないのは変だと思わない?」
「何のこと」
「つまり結びつこうとせずはなればなれだ」
「皆がバラバラで不信と悲しみを抱く」
軽快、軽快に過ぎ去るこのゴダール節。ああかっこいい、ああ楽>>続きを読む
ひととひとの間は移ろい動揺していることをうっかりと忘れ、記憶と願望にがんじがらめにされてしまう。漂流のただなかにいるということが寂しさに終りませんように。
過ぎゆく時間と渡世の虚しさ、そんななかにポジティブな力や生命の尊厳が宿っていて、再会を望むことや河が流れることはそういうことなのだ。
フィクスの長回しの奥行き深さや、セリフを必要としないショットたちが気持ちよい。はたまた癖になるミュージカルシーンと蔓延る虚しさ、まるで性行為だ。
閉館する映画館という舞台設定だけでもうドラマ!ここでもう少し深呼吸をしていたかったけれどDVD不調により途中で再生が止まる。
黄昏色、麦色のあのオレンジの光がたまらない。そうだよ、わたしたちは辿り着けないと、安心させてくれる。
目を見開いたカメラから聞こえる生々しい息遣い。いくつものダンスシーンと色彩が美味しい。
暴力は決して戦争だけではない、そして歴史は暴力でつくられている。国を変えるのは、よりよい社会は、より良い未来は、投票に行くことだけじゃない、日々の姿勢だ。
意味なく惚れて、衝動的に駆け出すこんな青い継ぎ接ぎだらけの映画をおっさんがよく撮ったよ。カメラワークもバッチグーでそりゃもう映画的に気持ち良いんだけど、響かないなあ。接写にするなら素朴な筋肉の動きに集>>続きを読む
純情の果ては身を滅ぼすのみか。
梶尾衣子が勇敢に立ち向かう最中、縁の下から脚を撫でる宇崎竜童のあのたまらなくダサい愛の形。本物と表現するには配慮することが多すぎるが、たしかな真実の愛。
戒め。またもや映画に人生を導かれてしまった。誰にも見られぬ家庭という世界で、日々、ただ日々を繰り返し過ごすことの難しさ。姿勢を緩めたら全てが崩壊する。セリフ、音楽、カメラの運動すべてが削ぎ落とされたに>>続きを読む
かっちり綺麗なショット、魅力的な役者たちにうっとりできちゃう系。セリフキザすぎるし、ジャームッシュ直接的すぎるしだけど、全体的な余白や日常の感じは好みで、しっかりうっとりしていたひとり。
こんなこと言えば怒られるだろうけど、乗馬シーンは『駅馬車』を超える好み。願望の実現と消失のあの文学的衝動は恋に似ている。
モンタージュの踊りによって無声映画はミュージカルと化する。壁から手を出す→手を繋ぐという待ち合わせと、火炎のスペクタクルと移動の馬にキュンキュンした。
カット毎にまぶたが落ちるようなウトウトで鑑賞してしまうも陰鬱なハーモニーは鳴り響く。華やかな彼らが歩けばそこはレッドカーペット。ブレッソン、あんなふうに映像を挟むのか。切り倒される木々で全てを語ってほ>>続きを読む
『市民ケーン』で奥行きへの驚きをもたらしたウェルズが、画面の全域で生命を躍らせる。これほどにまなざしがアクションする経験はなかなか出来ないし、映像表現のひとつの到達点とすら言えるが、テンポ自体には全く>>続きを読む
人はリズム、波であるから、暮らしは音楽であるから、ハーモニー、楽しい、滅びの歌、歌姫。
これ以上にない期待で胸いっぱいにする開幕。緑とオーバーラップ。そのほかは全然ダメだった。パッチワークのように繋がれ、運動もなければ、すべてを言葉にするのに大したことをひとつも言えないミュージカルが最悪>>続きを読む
カメラが宮崎あおいに接近するあらゆるシーンが決定的で、セピアに輝く奇跡の光を見るだけでも、感動に値する映像美。展開に必要な時間が明らかに長すぎるのに、光、音、俳優を信じたそれはミニマムと言える。進行方>>続きを読む
リズムを生み、映らない世界への想像とサスペンスフルに情報を提示する、なおかつかっこいい画面分割。その洗練さを示すかのような取り調べ室の白さ。
クールな画がベスト級。それにしても空疎な感じに前半のときめきがスカされた感じはあって、着地で決まった。
休暇映画な気分に鑑賞。明らかにされる男の醜さが、モノローグによっていかに本人にとって正当であるかを証明する皮肉。
紙風船の哀愁と、雨のスペクタクル。役者が動き、会話をし、カメラが捉える、そんな映画の当たり前に触れたくなるのは、本作が映画そのものであるから。
「無限な宇宙の廣さのなかに人間の哀れな営々としたいとなみが私はたまらなく好きなのだ」。我々は微力でしかないが、我々にとってはそれが全てである暮らし・営み。暮らしの反復と人の関係の全てが、めしと夫婦で明>>続きを読む
旅をさせるように心を預け、そこに漂う。最近は、世界に対する姿勢のことばかり考えているのだが本作はまさに姿勢の映画。何かを信じることは細い糸に吊るされたように強さと緊張を伴う。