病めるときも、健やかなるときも、悲しみのときも、喜びのときも、貧しいときも、富めるときも、これを愛し、これを助け、これを慰め、これを敬い、その命のある限り心を尽くすことを誓う。嗚呼、それが夫婦なのかと>>続きを読む
権力によって弱者が虐げられるという構造は、どんな世界、どんな社会にもよくあるけれど、その中で、最も卑劣な行為は、性の食い物にすること。なぜならそれは、人間の尊厳を著しく傷つけ、犯された者の存在、個(ア>>続きを読む
何万回も同じ日を繰り返す。同じタイムループに巻き込まれながら、くっつきは離れて、絶望し、やがて途方に暮れる。それでも最後の最後の最後、突き詰めれば突き詰めるほど、シンプルで、ピュアな部分にいきついたロ>>続きを読む
襤褸を着ても心は錦。とても高額な「新築祝い」を渡した兄を心配し、気持ちだけ受け取ろうとした博とさくらに寅さんが激怒するシーンがある。これは寅さんが圧倒的に正しい。ありがたく受け取ることが筋だ。とはいえ>>続きを読む
寅さんは駆けつける。兎にも角にも一目散に駆けつける。頭で考えない。考える先に身体が動く。だから嘘がなく、沁みる。とにかく、沁みる。傑作の呼び声の高い寅さん25作目。リリーと寅さんのかけ合いはもはや夫婦>>続きを読む
私たちはいつ変わってしまうのか。私たちはなぜ変わってしまうのか。何を恐れて、何を許せないのか。あみ子がひとりぽっちになるのは、私たちとあみ子に決定的な「隔たり」があるからだ。応答せよ、応答せよ、とあみ>>続きを読む
34歳と6歳。年齢を超えて、人は人に影響を与えることができるし、お互いを思いやり、友情にも似た結びつきを得ることもできる。それは希望であり、そして、とても素敵で、感動的なことですらある。生理、避妊、中>>続きを読む
オープニング。「トップガン アンセム」から名曲「デンジャー・ゾーン」が流れるだけで、とんでもない高揚感。前作でメガホンを取ったトニー・スコットに捧げられたオマージュ全開、36年振りの続編を観ながら感じ>>続きを読む
口が達者で、誇大な傾向があり、病的な虚言を繰り返し、衝動的で、罪悪感(良心)が欠如している。そして、何よりも、他人を支配しようとする傾向がある。そんなサイコパスを演じた阿部サダヲが、あまりに「いい人」>>続きを読む
合理化が止まらない。0か1かで判断される世界は「効率」こそが優先すべき価値となり、そこに人間の感情が入り込む隙はない。心にズケズケと入り込んでくる牧本は、少しどころか、今となってはかなり迷惑だけど、じ>>続きを読む
ぜんぶ、ボクのせい。みんながそう思えば、ほんの少し、世界はやさしく、生きやすくなる。そんなことを考えながら、エンドロールに流れる大瀧詠一の「夢で逢えたら」を聴いていた。無責任な大人と孤独な少年。叫べ、>>続きを読む
戦争の悲劇は多くの人が殺されるからではない。悲惨なのは、ごく普通に生きるはずだった、生きたいと思っていただけの、何百万人という人の人生、その子供たち、また、孫たちの人生をも狂わせてしまうことだ。一度始>>続きを読む
鎮魂。即ち、死者の魂を鎮めるということは、生きている者の気持ちを収めるということでもある。妹が聞くはずだった「一生分の音」を、カセットテープ、アナログの録音機器で集めて「音の墓」に埋める。弔うという機>>続きを読む
生きることは死の狭間にいること。友達でも家族でもない。けど、つながっている。それはきっと、日本のとてもいい風景だ。ご飯は誰かと食べるとおいしい。しかも、大人数で食べれば食べるほどおいしい。みんなで食卓>>続きを読む
人生は公平ではない。親を選ぶことはできないし、また、子供のうちは、環境や、置かれている状況を変えることも困難で、差別や偏見だってある。公平なものがあるとするなら、「選択する」という権利くらいか。絶望し>>続きを読む
父と母が子を育てる。是枝監督はそれが当たり前でないことをいつも私たちに提示する。実の父母に育てられることが、必ずしも幸せだとはいえないが(そう言い切ってしまうことも憚られるが)、育てられなかったことの>>続きを読む
寅さん24作目。融通が利かないようで、いったん気が合うと、どこまでも人情深く、やさしい。寄り添ってくれる。日本人だろうが、アメリカ人だろうが、そりゃあ、寅さんに魅せられるわ。「日本の男はそんなこと言わ>>続きを読む
承認欲求は、もっと、もっと、もっと、と私たちを駆り立てる。駆り立てられた人間は、倫理も道徳もかなぐり捨てて、より一層、もっと過激になるよりほかない。視聴回数や「いいね」の先にあるものは一体なに? 炎に>>続きを読む
これからの人生を誰とどう生きていくか。何のしがらみもなく、自由に選択をするということが、殊のほか難しいことを私たちは知らない。人を愛するには自由であること、自由であるには闘わねばならないことを、この映>>続きを読む
古めかしい言い方をすると「映画の文法」とでも言うべきか。例えば、ウェス・アンダーソンやアキ・カウリスマキ、コーエン兄弟の映画を観ているような、独特のオフビート感がたまらなく心地よかった。飄々としたコメ>>続きを読む
人生におけるあらゆる選択は、すべてが正しいともいえるし、間違っているともいえる。大事なのは、どのように自らで折り合いをつけ、責任を取り、受け入れていくかということだ。泣いても笑っても、最悪でも最高でも>>続きを読む
劇中にて囚人たちが演じた戯曲「ゴドーを待ちながら」の「ゴドー」が「God」の暗喩だという解説を読むとグッと深みが増してくる。神は、ときに想像を絶する試練を人間に与えるけれど、そうした極限の中で、その人>>続きを読む
目を背けて耳を塞ぎたくなる光景も、きっとすべてがリアルなのだ。いや、現実はさらに過酷で、もっと悲惨なのかもしれない。普通に生きていると、ついつい忘れてしまいそうになるけど、人生はどうしようもなく不条理>>続きを読む
共鳴。好きなものやことをその気持ちごと分かり合う。それはきっとどんな感情よりも嬉しく豊かでかけがえのないものだ。ボーイズ・ラブに魅せられた75歳の老婦人には照れも衒いもない。「好き」という感情がただた>>続きを読む
人生でもっとも美しいものは恋だ。それは間違いない。それでいて、厄介で、生生しく、野蛮で、恐ろしい。つまりは、不可思議なものだ。そんな不可思議なものの正体に、少しでも近づこうと、もがいたのがこの映画だ。>>続きを読む
詩人・茨木のり子は「自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」と書いた。「もはや/いかなる権威にも倚りかかりたくはない/ながく生きて/心底学んだのはそれぐらい」とも。「どいつも、こいつも、くだらない>>続きを読む
魂と魂の揺るがない結びつき。そのことを信じてみる。そこから映画はスタートした。その李監督の言葉がこの映画の本質を物語っている。これは愛なのか、それとも、それ以上のものなのか。美しものなのか、汚れたもの>>続きを読む
親だけが子育てしていると思ったら大間違い。知らず知らずのうち、人と人とのかかわりの中で、子供は成長し、強く、やさしくなっていく。支えながら、支えられながら、笑ながら生きていこう。そうか。親は海にならな>>続きを読む
いけしゃあしゃあと平然と嘘をつく。ぎりぎりの状態で生きている三姉妹の叫びが、悲痛でもあり、美しくもあった。必死に生きることがこれほどまでに切実に響いてくるとは。日常的に暴力をふるう父と、それを見て見ぬ>>続きを読む
池田エライザが映画を撮った。そう聞くだけで「見てみよう」と思わせる「なにか」がある。リリー・フランキー、原日出子はもちろん、自身も映画監督の杉野希妃、フォークシンガーの大塚まさじも、きっと彼女の「なに>>続きを読む
ブギーナイツ、マグノリア、パンチドランク・ラブ、ゼア・ウィル・ビー・ブラッド、ザ・マスター。泣く子も黙るフィルモグラフィー。天才と呼べる数少ない映画監督のひとり、ポール・トーマス・アンダーソンが描く1>>続きを読む
武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり。生は死、死は生。つねに死を傍らに感じ、意識し、覚悟することで、生が浮かび上がってくる。つまり、どう生きるか、生き様を見いだすことが侍の本懐だ。黒澤明の系譜を正統に受け>>続きを読む
自分の子供が生まれて感じたのは、彼に(彼と同世代の子供たちにも)、色々なことを教えられるということだ。それは、忘れていたことを思いだすとか、改めて再認識するとか、そんな上から目線の傲慢なものではなく、>>続きを読む
寅さん23作目。どうしようもなくなったとき、寅さんにすがりつきたくなる気持ち、よくわかる。せっかちでおっちょこちょい、どちらかといえば頼りないのだけれど、寅さんに「大丈夫!」と言ってもらえたら、なんで>>続きを読む
不思議な映画だった。記憶を失くしても身体は憶えているのだろうか、とか、感覚と記憶を失うとしたらどっちが不幸なのか、とか、記憶は人生にどんな喜びと悲しみをもたらすのか、とか、いろんなことを考えた。シュー>>続きを読む
素晴らしかった! そこにある理不尽さに、悲しみに、弱さに、喜びに、やさしさに、温もりに、希望に、ずっと泣きそうだった。米インディーズのカリスマだとか、音楽ファンにはたまらないトラックの数々だとか、過去>>続きを読む