双子。インストゥルメンタルと詩。運転席。鏡かガラスに映る世界。意味。サスペンスもサプライズもない。街の名前、人の名前。詩のミューズ。窓から漏る朝日を浴びる彼女の綺麗な肌は絵画。ブルーとグレー。簡素な言>>続きを読む
近すぎるがゆえに全体が見えない関係性。それを示唆するかのようなアップの連続。離れていても家族?いや家族っていうのはダイナミズムだ。言葉を交わし目線を交わし関わり合う中に、家族っていう状態が醸成される。>>続きを読む
トム以外の登場人物はまるで顔がないようだった。人間味みたいなものが感じられなくて、皆どこか人形のようだった。それは、なんというか、多面性とか深さとか言われるもので、そういったものに欠ける画一的な人物像>>続きを読む
同時代に生まれた名作。登場人物たちが鑑賞者の中で生きる。彼らは彼らの選んだ道を選んで歩いていく。「また見返したい映画リスト」に入れる。
でてくる女性にすごく嫌悪感を感じる。男に惚れている最中の女性の厭な部分と弱い部分がすごく目につく。オレンジじゃないんだよ、タンジェリンなんだよ。ヴィンテージだからってなんだよ、演出しすぎなんだよ。確か>>続きを読む
どうして親子は車の中で喧嘩してしまうのだろうか。ぶつかった力の逃げ場がない。親子の関係性こそ、ワイパーの法則だ。親と子という関係性の前にありとあらゆる決意は無力。
怖いガレル。愛の脆い一面。そして危うい一面。ワイパーの法則。「2年前の話だけど」。全てではないけれどもガレルを見通してきて、最初はいずれも男と女のけだるくてありふれた取るに足らない一瞬の邂逅を切り取っ>>続きを読む
ガレル作品の中でも特に美しい映像。そしてガレルの撮る子供の魅力がたまらない。愛と嫉妬は名前が違うだけで同じものなのではなかろうか。
互いの気持ちはつかみきることができない。触れた気になってもいつの間にか手からすり抜けている。だから、いつまでも傍に居てくれと口に出していうしかなくなる。そんなことを言ってもなんの意味もないとわかってい>>続きを読む
美しい断片的な記憶のピース。嘘か真か、それすらもわからない、美しい記憶。流れていく現在。頭の中に曲がりくねって続いてきた過去の到達点が今。記憶と現在が混ざってできた美しく滲んだ第三世界。視点すら超越し>>続きを読む
過去のガレルを見てきてから最新作を見ると、なんだか歩み寄ってきてくれたのかなと感じた。初めて寝ずに見通したガレル作品。だけど、見終わったあとに物足りなさを感じてしまった。見ている人を置き去りにするよう>>続きを読む
年を取ってから思い返すと本当にしょうもないなと思えてくる一件をなんとなくそれっぽくなるように香水を振ったり角度を変えたりして物語に仕立て上げるうまさと自然さが生きているうちに染みついてくるんだろうなと>>続きを読む
物語に惹き込まれたし、又映像が美しいとも思えた。終わり方も斬新と思った。ある一時期を切り取るのがうまい。そして寡黙かつ雄弁。同性愛が一つの要素として組み込まれてはいるが、この映画の本質とはあまり関係な>>続きを読む
この不気味さの中に何か惹きつけられるものが潜んでいる。誰もが感じる「足りない感じ」を、一部の人間のある特殊な理由に帰属させて、それをフランス映画らしくアンニュイを塗して語っている。見た時はそう思った。>>続きを読む
大切な人は数人だけでいい。数人だけでいいからずっと傍に居てほしい。だけど彼らは去っていく。そんなときに屹度走りたくなる。どうして全力疾走したくなるのか、新たな解釈に気づかされた。