見えることを描くのではなく、見えないものを描くのでもなく、見えないことを描く、それがこの英語の全てか。一冊の本を開陳したような、言葉、映像、色、登場人物。こういう風にiPhoneで動画撮ろうかな。
映画、映像…俺はなにを見ている/たのか。対位法。見たことない視覚。この後で、なにを作/語ればいいのか。明らかに、なにかが映っていたよね?現代アーティストが作る似たような映像作品はよくあるけど、明らかに>>続きを読む
エドワード・ウェストンを想起、でも似てるようで似てない。空港のアナウンス被せるの最高。中身はないと言っていいんじゃないか。ただ画面の構成が美しい/いや試してるって感じ。構成主義。ポジネガ反転させるとサ>>続きを読む
男と女が楽器演奏するシーンはいくらゴダールと言えど現代人からすると辟易するクリシェ。でも、手錠された電車とか、連想ゲームとか、疲れきった女とか、窓辺とかは、やっぱすごい。ゴダールの文法がある。最後の方>>続きを読む
初めてゴダール見る人には『気狂いピエロ』か、この作品をお勧めしたい。ゴダールの中では、かなり見やすいし分かりやすいし、かつゴダール的なエッセンスももちろんあるし、絵作りも美しい。にも関わらず、とても軽>>続きを読む
漱石の『草枕』で、小説は話の筋など気にせず途中で開いた頁から読めばいい、というようなくだりがあった。ゴダールの『パッション』もまた、物語など気にせず途中途中のシーンを味わえばいい。無理に一度に通して見>>続きを読む
内容はほとんど頭から流れ出た。面白いのは表現の形式。映画であり、本であり、音楽であり、絵画であり、物語であり、そのいずれでもあるような映画。映画はなんでも詰め込める表現メディアだと感じさせられる。言葉>>続きを読む
まさにソニマージュ。ゴダールを見ても、なんかお洒落っぽくて思わせぶりなシーンばかりだなんて思っていたけど/いまも思っているけど、でもちょっと待って考え直してみると、普通の/と言うのがいいのか、とにかく>>続きを読む
ここで終わるの、っていう感想がもはやクリシェになってしばらく、そんなことをわざわざ思うことはなく、ある意味ではここで終わるのっていうところで終わるのが正しい終わり方になっているとも言える、そんな中で、>>続きを読む
悪くない。悪くないけど悪くないくらいものに時間を使うのは悪いかもしれない。新しい映画を見てハマることが少なくなってきたのは感性の老化。タルコフスキーだけ見て余生を過ごす方がいいとまでは言わない、でもそ>>続きを読む
ところどころ面白いけど、純粋なコメディとして楽しむには、きっとエスプリが足りてない、映画にではなく、僕に。
言語化ではなく写真化、ということがよくわかる。写真家もまた言語と同じ象。これを見た後、アレックソスの写真がもう一層深く見えるようになる。
話すべきことがない
必要なものが作れない時は壊す方がいい
映画を丸々一本置き去りにする
現代にさえ通じる虚無が背後にあるのではないか、と思う、その空虚さをフェリニーニというある芸術家によって濾過され>>続きを読む
ポスターの表情。ラジオ。アマデウス。ダイヤル文字。黄色い字幕。原因療法ではなく対症療法。相互マッサージ。
興味深い映画、ではある。
個人的には、皆が言うほど貧困とか自意識を主題にしているようには思えな>>続きを読む
2014年か。今初めて見ると、鮮烈さはないけれど、この8年の間にこの作品は色々と模倣された、のかな?
これとは違う良さだから比較はできないが、ブレッソンの脱獄を想起した。プレッソンのを見た時は正直退屈>>続きを読む
踊りを押し進めていく言葉、具体的な、しかし示唆的な、水、壁、鳥、頭、樹、油、そのエレメントの、たしかにリアルな組み合わせ、から生まれる、イメージ、イメージ、イメージ、が満ちてゆく、からだに、身体に、カ>>続きを読む
雑誌フェティッシュから見てとても楽しめた。雑誌ってやっぱり良い。楽しいから。洒落すぎるくらい洒落てて軽妙だけれどもそういうのも良いじゃない。そしてレア・セドゥ、これから好きな女性俳優を訊ねられたらレア>>続きを読む
時代と共に価値観が移り変わるとき、前時代の人たちは取り残されてゆく。生々しく。戦争の記憶が楔になって。しかしそれで良いのだと、次の世代、若い世代はそれで良いのだと思おうとする。そうやって変わっていく。>>続きを読む
言葉少なに、少年のように、泥濘から抜け出して、汚れた脚を濯ぐように、それを願わないようにして淡く願って。
海外映画を見ていると俳優が概して多くを語らず表情も静かであることに羨ましく思っていた。演技が>>続きを読む
あざといくらいの音が効果的。この映画を見て自然に帰る云々言う気にはならない。どちらが優れているかどうかという話ではなくて尺度が違うわけで、じゃあこれを見てどうするのかと言うと、見ることが大事だ。ただた>>続きを読む
ラストシーンの美しさのために120分という感じ
ヨハン・ヨハンソンだから見た。当然のように眠った。ロメールやブレッソンでも眠るのだけどたいていは途中で起きる。今回は最後まで眠った。未来と過去の遡及性についての言及はインスピレーションに富む。未来から>>続きを読む
2024/05/25 2回目視聴
「悪は存在しない」、そして、『ワーニャ伯父さん』を通ってからの、2回目。
心の深いところに触れる映画ほど
終わった後がとても寂しい。
楽しい食事と酒の後のように、い>>続きを読む
懐かしい。むかし、関西の大学生なのに、東京渋谷富ヶ谷のくそぼろいアパートの雨漏る一階角部屋で一人暮らし始めて、ユーロスペースだったかで見た、映画。21歳くらい。こないして書くと、自分のことやないみたい>>続きを読む
久しぶり中途で眠った映画、久しぶりに置き去りにされた映画。しかし、もう一度見てみたいと思うのは、闇夜に灯る少女の美しい顔と、最後の台詞のため。見ていて、自分も死の恐怖に迫られているような気がしてきて、>>続きを読む
イニャリトゥ。映像はカッコいい。音楽も。しかし何か物足りないと思うのは何故だろう。
暖かい暗闇。血塗られて。神話になる。デルス・ウザーラを思い出す。人間の、血の、因果。馬の、眼。もはや、自然は、どこにも残らない。しかし、求める。どこまでも、根拠を、人間の生命力の、賛歌へ。運命を委ねる>>続きを読む
音楽や良し。まず序盤のピーク。この少年には、名前がない。虐待でもない、育児放棄でもない、そして生活も教育も受けている、いや、受けさせてもらえていると言わされる。名前がない。自分の境遇を呼称するための。>>続きを読む
2021/08/23 2回目
やっぱ裁判官の早口が好き過ぎる。もちろん鯨の骨なんて筆舌に尽くし難いほど。クレーンの場面は現代版のタルコフスキーのサクリファイスだろ。恐らく、同時代に生きる映画監督として>>続きを読む
面白かった。世の中には楽しいことや面白いことが沢山ある。その全てを享受するのは不可能だ。だから、きっと、あえて捨てて、絞ることも必要でしょう。人が見たいのは人、っていうのは、まさにそう。
ストーリーは別につまらなくても鑑賞に耐えているのは映像の美しさ、つまり、構図、色、音。たとえば、馬の事故。プール。そういう絵づくり。
本筋とは違うかもしれないけど、老いについても考えさせられた。
電車で親の膝に頭を乗せて眠る子供の顔のアップ。美しい。日々の中に美しさは未だ残っている。まだ生み出せる。枯れた川に流れが帰ってくる。
家族とは何か。他人と何が違うのか。そして、何かを決める、決定すると>>続きを読む
スビャギンツェフ。ヤバい。はじまってすぐに好きなことがわかる。なぜ?分からない。音楽も、音もいい。無から有を生み出す。神話。そう、管理された現代に残された、神話。タルコフスキーからの。