タイトルバックやルーヴルの疾走などゴダールの遊び心が随所で垣間見える。やっぱりゴダールは「遊び」で画面に緊張感を作る作家だ。
初対面の男に「流行遅れの髪型だ」と言われて、まとめていた髪をほどき、微笑>>続きを読む
冒頭のホルムアルデヒドを流すシーンから、ポン・ジュノのただ者ではない感じが漂う。モンパニらしい展開の前半よりも、ジトっとして退屈にさえ見える展開が、まるで数年前の私たちのメランコリーを見ているかのよう>>続きを読む
元々持っていた悩みとか謎とか問題はどこへも向かっていないのに、ただ身体がさすらってゆくだけで、それだけで何かが変わってゆく。
フィリップとアリスの道程にも目的地があるはずなのに、どこか目的地がないよう>>続きを読む
誰が死のうが何が変わるでもなく、結局、その代わりをまた誰かが演じるだけ。まるで自分の首を付け替えるようにして、誰かの首を取ることで成り上がる、その滑稽な構造は確かに北野武らしいモチーフだ。
『その男>>続きを読む
U-NEXTの説明書きに「ゴダール流ミュージカル」とあって、よくあるミュージカル映画のようにここぞという時に歌い出すのか、はたまたジャック・ドゥミのように最後まで歌い通すのか考えていたのだけれど、なる>>続きを読む
哲学者のヴァルター・ベンヤミンはその著作『歴史の概念について』において、パウル・クレーの描いた『新しい天使』を引きながら、「歴史の天使」という存在について記述している。歴史の天使は、過去を見つめている>>続きを読む
これだけほぼずーっとイライラしているウィノナ・ライダーが観られるのもそれはそれでレアなのかもしれない。
灰色の毛糸を脚を取られながらも歩みを止めないウェディングドレス姿に心惹かれてしまう。冒頭のスローモーションでの絵画的なカットの連鎖は、もはやこの監督のお家芸だろう。
青く澄んだ惑星「メランコリア=抑>>続きを読む
自責が自罰を呼び、それが他罰へと転嫁しながら入り交じっていく様がなんとも痛々しい。
職場へと向かう道中、カラスを見かけると頭の中にパッと「Dispair」という言葉が浮かんで鬱々としてしまった。とは>>続きを読む
男女の逃避行はこれくらいとりとめの無い方が良い。不変の海と太陽の基で自由に南仏を駆け回る男と女。脈絡の無い事物、色彩、言葉がシュールな風景の中で接合され、これでもかと画面からせり出してくる。
理由は分>>続きを読む
自由が素晴らしいのは間違いない。それはグレースに同意する。でも、彼女は自由には準備や能力が要るということを知らない。人は自分自身を抑圧し、縛り、演じることで安心して生きられることもあるということを彼女>>続きを読む
ニコール・キッドマンはアメリカの小さな村を1つ焼いて、ギャングの父の元に戻った後にまた脱け出して今度はイギリスに渡り、しがないパンクなクラブのオーナーになっていたみたいだ。
「PUNK VIRUS/>>続きを読む
5年ほど前、学生時代に研究室の先生から教えてもらった思い出のある一本。
あまりに完成された作品。全く淀みのない展開と人物を引き立てる演出には本当に隙がない。全てが透けて見えるからこそ、何も見えていな>>続きを読む
あんまり気持ちの優れない時に映画は観るなってあれだけ言ったのに。
それでも分かったのは、皆、言葉で変わっていくんだってこと。
なるほど、想像界から象徴界への移行か…
そこには物語という意味の連なりではなく、単なる物質の連鎖がある。ある種それが理不尽に見えるのも、ルールの次元が違うから当然なんだろうな。
いくら町出身の大スターが帰ってくるからといって、生家をミュージアムみたいにしたり、勝手にパーティーを催している人々のヤバさに正直顔がひきつってしまうけれど、ウィノナ・ライダーが素敵だから何でもOKなの>>続きを読む
愛に背を向けず、ワイルドな心で求めるものを求めるままに生きていく。過酷で明るいメッセージ。
マッチの火、タバコの火を種として導火線が燃えていくように父親の死、燃える家、父親の仕事仲間から受けた性的被>>続きを読む
「あれ?レオンのジャン・レノってこんなちょっと情けない感じだったっけ?」というのが完全版を観ての一番の発見だった。
あとは相変わらずゲイリー・オールドマンはイカれててかっこ良いし、ナタリー・ポートマン>>続きを読む
「本音を言え」
「これが現実だ」
「私/僕とあなたは同じだ」
これら作中で何度も放たれる言葉は、不可視にされている凄惨な現実への憤りと、他者が常に遠いため、その感覚を共有することができない孤独という現>>続きを読む
茹だるように暑く、散らかった小さく狭い部屋で1人の女性による淡々としたモノローグによって進んでいく物語は、ラストのチャーミングな女性の姿では巻き返せないほどの漠然とした不安を抱かせる。
「なんでもあり」な世界は「なんでもいい」世界。芸術のために盗みをするのも、ネットで違法薬物を買うのも、それを過剰に服用するのも全然アリ。面白い、面白い。その物語は新しいね。でもすぐに飽きてポイされちゃ>>続きを読む
鳥かごのようなオブジェの黒以外は一面真っ白の北海道・帯広の雪景色とそこではしゃぐ2人の少女。背後ではアイナ・ジ・エンドが歌うオフコースの『さよなら』が流れている。
選曲の良さもさることながら、ファース>>続きを読む
『白いリボン』がかなり衝撃的だったので、他にもミヒャエル・ハネケをと思ったが、これもまた観客を否応なく映画の中に巻き込んでいくタイプの作品。それはパウルがカメラ目線で観客に語りかけるところに如実に現れ>>続きを読む
「思想」から「科学」へ。
「芸術」から「論理」へ。
「思考」から「演算」へ。
過去・未来その時間の全てを独占する人工知能と記憶媒体の集合体であるα60によって導き出された答えで全てが淡々と有機的に動く>>続きを読む
ナナは映画館でジャンヌが火刑を告げられるシーンで涙を流す。スクリーンの中のジャンヌの表情は恍惚としながらも切なさが滲み、美しく、彼女の死をドラマティックなものに演出する。対してナナの死はどうだろう。カ>>続きを読む
夏の映画だ。
小津作品の風景の美しさは、人を旅に駆り立てる。
美しき夏の夜を彩る、仄かに光る提灯の青、庭に植えられた背の高い植物の赤、蚊取り線香の緑、目を惹く三原色が印象的なカット。それに加え、諸行無>>続きを読む
一体オオカミはどこにいるのか?
家が私たちにとって安心できる場所であるのは、何かが起こらない限り変わらずそのままそこにあるからだ。しかし、マリアが逃げ込んだ家は全くそうではない。不定形で、蠢いていて、>>続きを読む
死を弄ぶ少女。とても無機質に遂行される儀式。何かタブーに触れているような感覚に襲われ、無意識から揺さぶられる。
今敏の監督デビュー作ということで、その後の作品で展開されていくイメージがふんだんに盛り込まれている。
ルミの行動が起点となって、未麻・ルミ・内田(ME-MANIA)、三者の幻想が混じり合い、補完的に>>続きを読む
1980年代の後半から1990年代にかけての十数年、この時代とそこで生きた人々の姿を知りたいならエドワード・ヤンの作品を観れば良いと言っても過言ではないと思う。
やりたいことや、やらなきゃいけないこ>>続きを読む
観終えた所感としては「難しい…」「う~ん、そこそこ」という感じ。もちろんウェス・アンダーソンお得意のパステルカラーの映像美を楽しむだけで約1時間30分、全く飽きずに観られるのだけれど、物語としてはなか>>続きを読む
これは搾取じゃない。社会が、会社が潤えば、その分だけ労働者にも分け前が降りてくるんだと人は言う。いわゆるトリクルダウンだ。
しかし、トリクルダウンしていくのは怒りだけだ。そのことに本当はみんな気付いて>>続きを読む
なんとなしに観る映画だなと思った。
長く覚えておくことのないままぼんやりとさせておいて、ふと、どこかでまた出会い直したくなるような作品。それはまるで、自分が乗ったタクシードライバーの顔なんて覚えていな>>続きを読む
ムビチケ買ったのに、観に行けなかった復讐をとうとう果たすことができました。
『ライトハウス』でも思ったが、ロバート・エガースの撮る海はなぜあんなにも雄々しいのか、雨や雪はなぜあんなにも冷たいのか、そ>>続きを読む
愛には形がないとはよく言うけれど、形がないものに耐えられるほど人間強くはなく、言葉だとか物によって愛の証をなんとか作ろうとする。その究極形が一応子供だとされている。
恐らくジェームズはハーパーから子供>>続きを読む