学生時代にエキストラとして参加した思い出深い映画。
立教大学と江古田の日大でロケ。
ギャラなどは無く、弁当だけ。
撮影は適当とまでは言わないが、かなりさくさくと進んで、あまりこだわりとかないんだなと>>続きを読む
筒井康隆がこの映画を見て、あまりに面白いので父親を誘ってもう一度見に行ったと述懐していた。
1953年公開なので、まだ大戦の記憶が生々しい時代。そんな頃に敢えてコミカルにナチスの収容所を描いた意味を>>続きを読む
脂っこい料理を食べたような満腹感。
滝を登る時に現れる美女の衣が生きているようにたなびくCGが圧巻。
女性に助けられ、育てられ、導かれ、勇気付けられる主人公。
実は女性原理の物語なのである。
超人>>続きを読む
喪失と再生の物語。
大切なひとを失うという体験を、子供向けアニメという体裁の中で、シビアに描く異色作。
両親を失った主人公に、イマジナリーフレンド的に寄り添う幽霊たち。
幽霊たちは、主人公の日常にう>>続きを読む
古今東西の物語の王道である、典型的な「行って帰りし」物語。
「青い鳥」しかり「千と千尋の神隠し」しかり「宇宙戦艦ヤマト」等。
確かなカタルシスを呼ぶ物語の元型である。
故郷のカンザスのシーンがセピア>>続きを読む
頭をカラッポにして見る映画。
CGを見栄え良くするためか、
南極は常に夜で、戦いは主に暗い地下。
プレデターは女に甘い。おみやげまであげてる。
アメリカは自由の国というけれど、映画で描かれるアメリカの姿は不自由で息苦しいことが多い。
とりわけ家族愛に疑問を呈すことは絶対に許されない。
様々な家族のあり方が実際は存在するにもかかわらず、ステレ>>続きを読む
舞台となる場所は、盲人に優しいとは言いがたい半地下の部屋。
ドアを開けるといきなり階段になっているし、キッチンに行く途中にも段差がある。目が不自由な居住者のための工夫も全く無さそう。
盲人の妻を持>>続きを読む
信用できる人間とはいったいどういう相手だろうか。
決して裏切らない者か。嘘を言わない者か。
しかし誰かを裏切らないために、他の誰かに対して嘘や裏切りをしなくてはならないことがある。
信用とは相対>>続きを読む
主人公は詩を朗読し、リクエスト曲をかける人気DJという設定。
詩を朗読する男というのが、ある種の伏線となっている。
ストーカー女から告げられる謎の言葉はエドガー・アラン・ポーの詩「アナベル・リー」>>続きを読む
実は様々な「笑い」のシーンが随所に登場する。
「笑い」といってもギャグという意味ではなく、「黙って笑うだけ」で意思疎通するシーンのことである。
例えば、エンジェルが昔の女を撃ち殺し、あたり一面騒然>>続きを読む
言わずと知れた『北斗の拳』の元ネタ作品。
ヒャッハーなモヒカンキャラのイメージはここから生まれ、北斗の拳によって強化された。
寡黙なマックスのキャラと出で立ちも、ケンシロウそのものである。
それは決>>続きを読む
黒人がエリートで白人はクズという、当時の観客からすると意表を突いた設定。
思い込みだけで逮捕したり街の有力者の言いなりだったりという腐った田舎の警察署長(白人)と都会からきた敏腕刑事(黒人)の二人を>>続きを読む
自由で創造性に富んだ才能を育てるには、やはりその基礎というべき教養を身につけなければならない。
しかし基礎教養は若い者にとって退屈だ。
だから教育者は、いろいろ工夫しながら教養の面白さを伝えなければ>>続きを読む
エドワードからの復讐とは思えなかった。
これはひとつの正解を求めて観るような映画ではないが、敢えて復讐という言葉を使うならば、それは小説からの復讐だろう。
スーザンが小説に感情移入して眠れなかったり>>続きを読む
逆さ吊りの牛肉、牛から見れば人間もプレデターみたいなものか。
バスルーム破壊された婆さん、箒でプレデターと闘うつもりで良い。