見るという行為の没落。フーコー的パノプティコンはもはや意味を持たず、ドゥルーズ的管理社会へと移行。
太鼓のシーン。挿入される一瞬の海に思わずわらう。長回しとテンポの速いカット割が並置される。リズムによって作家性を出すのではなく、感情を伝える最適なショットの選択が小気味良い。コミカルなシーンと抽象的な>>続きを読む
派手なシーンが出にくいサスペンスにおいて、地理的条件により、緊張感を維持する。三國連太郎が見事。
シーン自体は面白い発想もあるが、シーン間の繋がりに工夫があれば、空想のような世界観も受け入れやすくなるのでは?
潜在的な差別思想が抑圧され、それが何の前触れもなく意識へ浮上してくる。「観られる」という行為によって想起するのは欧米がしてきたオリエンタリズムとの一致。
人の目線とは違う位置で、動き続けるカメラは不安定で、不気味な印象を与える。ただ、音響は分かり易すぎるくらい単純に配置され、急激な音の変化によるサプライズしか与えない。やはり、ハネケと比べて語られること>>続きを読む
ものの物質性が強調されるクローズアップ。振動が振動であることを語る。スクリーン上の光の点滅でありながら、「もの派」の作品ような物質そのものを提示される。
白黒特有のはっきりとした影があまりにも美しい。懺悔室でのシーン、出会い始めは思想的な隔たりがあるのにもかかわらず二人の境界は消える。しかし、改宗後は二人の境界が残る。
ナウム・クレイマンの講演とともに。エイゼンシュテインが日本文化の影響を受けていることの例として、歌舞伎などはよく挙げられるが、歌川広重「深川洲崎十万坪」の構図と第1部ラストの構図の相似は初耳。影の存在>>続きを読む
マグロと人間の格闘をカットを割ることなく見せつけられる。生身の身体があればよい。
映像で語りながらも、台詞の端々に見え隠れする繊細さは、まさしく言葉を生業にしているビートたけしを感じざるを得ない。
マリアンヌの真実をキャンバスに刻みこむ音が響く。長い時間をかけて丁寧に追って行く。映画には時間が刻まれる。