あのときわたしは事件のあった幡ヶ谷のバス停のほど近くに住んでいたこともあって、あの顛末には大きく心を揺さぶられた。未曾有の感染症の拡大で、社会の網目から零れ落ちてしまった人びとを主題に物語を立ち上げた>>続きを読む
津軽のしがない片田舎で脈々と継承されてきた馬鹿塗りとよばれる漆の伝統。その仕事に携わる職人の継承を主題にした小品だが、その身の丈以上のことは欲張ろうとしていない、ぎらぎらした野心のないことに好感をもっ>>続きを読む
肉欲に駆られた若い女が、日が落ちたあとの背丈ほどの高さがある茂みを駆けてゆく。あの表情。あの足取り。未成熟な若さを凝縮したような姿に、うつくしき照明が当てられた様子に、わたしは魅了されっぱなし。吉村実>>続きを読む
林光でなく武満徹が音楽をやっていたら、二代目中村吉左衛門でなく加山雄三が主演を張っていたら、甲斐庄楠音や伊藤熹朔が美術を担当していたら、乙羽信子でなく田中絹代が母を演じていたら、新藤兼人でなく溝口健二>>続きを読む
聖職者の頽落という主題においてブニュエルにもっとも接近する川島雄三の意欲作。白黒の引き締まった画面を切れ味よく刻んでゆく撮影と編集のモダニズム。『女は二度生まれる』『しとやかな獣』とあわせた大映の三作>>続きを読む
寸分足りとも動かない交通渋滞のファースト・シーンに、フェリーニの『8 1/2』を重ね合わせたのはわたしだけではないだろう。突然変異で翼の生えた男の、移送車から脱走。その一部始終を見ていた隣の運転手は「>>続きを読む
女性作家が夫を殺害する話のほうが、ただ男が絶望して自殺する話よりもよほど面白いでしょうと、転落死の真相をめぐる裁判を特集したテレビ番組で破廉恥なコメンテーターが言ってのける。顛落の解剖学。エンドロール>>続きを読む
このなかに孤独を感じて鬱々としている人がいたとしたら、きみはひとりではないと伝えたいと、アンソニー・チェンは上映前の舞台挨拶で語った。いましがた映画を見終わったわたしは、この映画のいったいどこに孤独が>>続きを読む
かつてルノーの自動車工場があった場所で、子ども向けの生演奏付き上映。あの家族連れでごった返す劇場にひとりで観にきていたのは自分ひとりだったのではないか。劇中のチャプリンをはじめとする観客たちが繰り広げ>>続きを読む
フィリップ・グラスが1998年に作曲した伴奏の生演奏付き上映。てっきりサイレント映画なのかと思っていたら、フィルムの音声にピアノの演奏が重ねられていて驚いた。そういうこともできるのか。
絶妙に出自を>>続きを読む
げらげら笑っているうちに、あっという間に映画は終わりを迎えている。爽快な潔さ。『Chien de la casse』で強い印象を受けていたラファエル・クナールの佇まいに完全にやられる。彼はパトリック・>>続きを読む
わたしたちは村上春樹の最良の部分に沈み込んでいく。あのイマジネーションの飛ばしかたこそが村上春樹のあたらしさだったのだと確認できる。とても上質な大人のためのアニメーション。もう観てから十ヶ月も経ってし>>続きを読む
業務用スーパーの品出し。工事のあいまに喫む煙草。通勤バスの座席配置。ラジオが伝えるウクライナ戦争の戦況。カラオケバーで出会った男女が埋めあう孤独。二人で連れ立って観に行く映画はジャームッシュのゾンビ映>>続きを読む
抜群におもしろい。劇場にいた観客たちがわたしと同じようにだんだんと「のめり込んでいく」感じが手に取るように伝わった。1970年のピエール・ゴールドマン事件をめぐる裁判の再現を試みた法廷もの。二時間近く>>続きを読む
真冬の森の木立を真下から仰ぎ見る移動ショット。あの映像を見ているのはだれか、という問いのもとにこの物語がつくられたのではという気がする。そのじつ、あの映像は冒頭と結末に二度繰り返される。そしてその二度>>続きを読む
1947年、パリ郊外に位置するTriste-Le-Roy(哀しき王さま)と名付けられた村。その森のなかの邸宅にひっそりと暮らす余命わずかの伯爵のもとに、ゲシュタポに協力した過去をもつ男が呼びつけられる>>続きを読む
この映画に「南(sur)」がいちどとして映らないこと、これは意図されたものだと思っていたら、この話には続きが用意されていて、エリセはエストレリャが「南」に逢着したあとの物語も撮りたかったらしい。しかし>>続きを読む
アントニオ・ロペスは、自身が秋じゅう掛かっても捉え切れなかった「マルメロの陽光」をカメラが颯爽と撮ってしまったことに何を思っただろうか。画家は映画に嫉妬するのか。庭に設えたキャンバスの中で画家が何を試>>続きを読む
生まれてはじめて見聞きするものごとの数々。フィルム缶を積んだトラックに乗ってやってくる巡業映画。『フランケンシュタイン』で殺されてしまう少女の姿。汽車の接近を告げるレールの振動。指先の傷から滲む血で差>>続きを読む
いつも決まってキッチンでひとり食事を取っている妙に大人びた息子が不気味。ヒューマニストの仮面をかぶった父の内弁慶、その抑圧が垣間見えるようだ。カーテンの柄をどうするかという話をハナから尻までずっと続け>>続きを読む
十年後の同窓会で再会を喜ぶ男たちのあいだを灰色のスーツを着こなした男が横切ってゆく。周りの男たちはおい、あいつじゃないか、よくのこのこと来れるよなと囁きあうが、彼は気にもとめない様子。わたしたちははじ>>続きを読む
ダンスと暴力、いずれの形態も根源もおなじであるという霰もない事実を端的にしめす小品。Study in Violence ではなく、 Meditation on Violence と名づけているのがいい>>続きを読む
終戦後にパリにもどったジャン・ルーシュがマルセル・モースやグリオールから人類学の手ほどきを受けて、再びニジェールに発ったのが1946年。ルーシュがこの観たのはいつのことだろうか。ソンガイ人を被写体に据>>続きを読む
ダンスの偏在を高らかに告げるオープニング・ショット。わたしたちの旋回するカメラ!
シネマテーク・フランセーズからの白紙委任状で黒沢清は本作を選び、「映画史上もっとも「完璧な」映画は何かと聞かれたらきまってこの映画を選ぶ」と、上映前に観客に向けて語っていた。!となってるあいだに終わる>>続きを読む
「THE ULTIMATE CUT」と名づけられた173分版を鑑賞。アメリカの大富豪が巨額を投じ、第三代ローマ帝国皇帝の生涯を題材に、イタリアのポルノ映画の巨匠に壮大なハードコア・ポルノを撮らせた。現>>続きを読む
203分修復版。心地よすぎて深い眠りに落ちたので、劇場公開の折にもう一度。
ローマで三線目となる地下鉄は都合十年近くの工事期間を経て、2013年にようやく開通を果たした。あのときローマを案内してくれた友人に、掘り進めるたびに何がしかの古代遺跡が発掘されるので、工事は度重なる中>>続きを読む
1858年、ボローニャに暮らすユダヤ人の大家族の6歳の少年がローマ教皇の勅令によって誘拐される。彼は生後間もない頃にカトリックの家政婦から秘密裡に洗礼を受けていたのだという。モルターナ事件として知られ>>続きを読む
五つのボタンを首もとまで律儀に締めた半そでのポロシャツを着るノヴァク先生(ミア・ワシコウスカ)が誘う、拒食主義の秘密結社。裕福な親たちの庇護に息苦しさを憶える生徒たちは、うつくしい新人教師の教えに惹か>>続きを読む
「MADE IN CHINA」の向こう側にある生活。親もとを離れて河北省の直隷という土地に出稼ぎにやってくる10代半ばから20代半ばの若者たち(しかし「直隷」とは…)。毎年30万人を超える季節労働者た>>続きを読む
あの女子生徒が因縁の教師にいみじくも差しだしたチョコレートケーキさえも、わたしたちの理解を超出するものとして不気味な存在感を放つ。客席にいた誰もがあっと驚いた問題の仕掛けだけでなく、何もかもが一見する>>続きを読む
少年はひとりでに飛びつづける白色の紙飛行機を追いかけて父の眠る墓地を駆け抜ける。若くして未亡人となった母はかたや夫の幻影に誘われ冥界に足を踏み入れる。あつめた枯れ葉を燃やし、箒をかついで煙草をくわえ立>>続きを読む