観客のひとりからヴィクトル・ユーゴを思いだしたといわれて、なるほどと腑に落ちた。確かにユーゴの小説は山本周五郎のヒューマニズムの源泉かもしれない。都合三度ほど観たのだが、江利チエミと子どもたちによる人>>続きを読む
幸田露伴の原作に接近できたことがなによりもよかった。しかし原作のモデルとなった谷中の五重塔は、江戸の建立から二十世紀も関東大震災と東京大空襲という災厄を奇蹟的に無傷で乗り越えたにもかかわらず、1957>>続きを読む
この作品を上映したことがきっかけとなり、二十年振りに法隆寺を訪れた。その訪問を経て本作を見直すと、カメラワークの卓越はさることながら、いかに構成が優れているかと思い至る。三百人が詰めかけた満員のホール>>続きを読む
シネマテーク・フランセーズのホラー映画史特集にて、Dagerlöff & Galner というエレクトロデュオの生演奏付き上映。とにかく音楽がすばらしく、これほどあざやかに百年前の映画に息を吹きこむこ>>続きを読む
冒頭のシークエンスは見ものだった。思いを寄せる女との結婚を認めてもらうべく、夜半の暗がりでその父を待ち伏せる伊右衛門(天知茂)。貴様の如き分際でと取り合おうとしない父に腹を立てた彼はひと思いに斬ってし>>続きを読む
スカイツリーの麓にある木造二階建ての年季の入ったアパートに居を構え、渋谷区のトイレ掃除の仕事にひたむきに取り組み、ルー・リードやパティ・スミスをカセットで聞き、フォークナーや幸田文を読み、草木を愛でな>>続きを読む
たった一度きりの人生が、いつのまにか自分の手許から過ぎ去ってしまっていた。もう取り返しがつかないところまで来てしまった。直視するにはあまりにおそろしい事実にはたと気づいてもがく還暦間近の男の悲哀。孤独>>続きを読む
満席にほど近い客席のあちこちから啜り泣く声が聞こえてくる。わたしもあの劇場の魔力に絆されたというところは否めないけれど、いい映画だと思う。ふつうの伝記とちがって宮沢賢治の父の視点で描かれる家族の物語自>>続きを読む
中村鴈治郎の顔が正視に耐え難いという点をのぞけば、いい映画だと思うのだが…。
再見(ツァイチェン)。ぞくっと悪寒が走るような、印象に残る不気味なショットが三つ。ひとつ、料亭の個室で岸惠子と池部良の禁じられた接吻の直後に挿入される首を振る扇風機。ふたつ、死期が間近に迫る増田順二の>>続きを読む
小津の生誕120年/没後60年の日に再見。田中絹代と高峰秀子が共演を果たしたのはいつ振りだろうと思っていたら、公開当時のパンフレットに五所平之助『新道』以来14年振りのことだと書かれていた。二人は15>>続きを読む
呉のまちに連日連夜爆弾が降りしきる描写に、八十年後のガザの現在が重なる。あの戦争のころ、ユダヤの民はむしろ殺戮される側にいたわけだ。七年振りくらいに再見したのだが、すぐれた映画はこうしていつの時代もア>>続きを読む
戦地で死の恐怖を目前にして与えられた任務を果たせなかったこと。そのせいで多くの同胞たちが命を落としてしまったこと。わたしたちの目からすれば、その責任は当然敷島ひとりに帰せられるものではないにもかかわら>>続きを読む
わらわらが熟して、丸く膨らんで一斉に空へと浮かび上がっていく。眞人はキリコに訊く。いったい彼らはどこにいくんだ? これから生まれるのよ。あなたが来た世界で。このキリコの科白を聞いた途端、わたしの涙腺は>>続きを読む
隣人は言う。ここじゃ星は空を見上げるたびにちがうとこにいやがる。カブールではいつもおんなじ場所に留まってたはずだよなあ。こんなに星々が動きまわる土地で、どうやって安心して暮らせるってんだよ、あんたもそ>>続きを読む
コンゴ民主共和国に出自をもつラッパーであるBalojiがはじめてメガホンを取った長編映画。主演のマルク・ジンガは、かつて2019年のフェスパコでエタロン・ドールを獲った『密林の慈悲』でも主演を張ってい>>続きを読む
なあ、せかいって言葉、知ってるか。この空の果て、どこだかわかるか? 果てなんかねえんだよ、それが世界だ。なあ、惚れた女ができたら言ってやんな。おれは世界でいちばんお前が好きだって、これ以上の言い回しは>>続きを読む
字幕なしの母国語で、これだけ活きのいい現代の法廷ものを目撃できることを慶賀しなければならない。やはり法廷ものは字幕を読み進めていくだけでは十分でないのだ。じっさいの裁判同様、法廷で戦わされる言論のパフ>>続きを読む
巧い、とても巧い、とおもわず舌を巻く。わたしはこの映画に成瀬を感じたが、監督は一本も観たことがないと言っていた。演劇出身の監督だということがよく頷ける行き届いた脚本と演出の機微に役者たちはよく応え、ス>>続きを読む
あまり好みではないが、うわさに違わぬ力作であることは素直に認めなければならないと思いながら、最後の渡辺哲のさみしげな後ろ姿を捉えたショットを観ていた。高齢者専用の売春倶楽部という設定の着想があったとし>>続きを読む
あのときわたしは事件のあった幡ヶ谷のバス停のほど近くに住んでいたこともあって、あの顛末には大きく心を揺さぶられた。未曾有の感染症の拡大で、社会の網目から零れ落ちてしまった人びとを主題に物語を立ち上げた>>続きを読む
津軽のしがない片田舎で脈々と継承されてきた馬鹿塗りとよばれる漆の伝統。その仕事に携わる職人の継承を主題にした小品だが、その身の丈以上のことは欲張ろうとしていない、ぎらぎらした野心のないことに好感をもっ>>続きを読む
肉欲に駆られた若い女が、日が落ちたあとの背丈ほどの高さがある茂みを駆けてゆく。あの表情。あの足取り。未成熟な若さを凝縮したような姿に、うつくしき照明が当てられた様子に、わたしは魅了されっぱなし。吉村実>>続きを読む
林光でなく武満徹が音楽をやっていたら、二代目中村吉左衛門でなく加山雄三が主演を張っていたら、甲斐庄楠音や伊藤熹朔が美術を担当していたら、乙羽信子でなく田中絹代が母を演じていたら、新藤兼人でなく溝口健二>>続きを読む
聖職者の頽落という主題においてブニュエルにもっとも接近する川島雄三の意欲作。白黒の引き締まった画面を切れ味よく刻んでゆく撮影と編集のモダニズム。『女は二度生まれる』『しとやかな獣』とあわせた大映の三作>>続きを読む
寸分足りとも動かない交通渋滞のファースト・シーンに、フェリーニの『8 1/2』を重ね合わせたのはわたしだけではないだろう。突然変異で翼の生えた男の、移送車から脱走。その一部始終を見ていた隣の運転手は「>>続きを読む
女性作家が夫を殺害する話のほうが、ただ男が絶望して自殺する話よりもよほど面白いでしょうと、転落死の真相をめぐる裁判を特集したテレビ番組で破廉恥なコメンテーターが言ってのける。顛落の解剖学。エンドロール>>続きを読む
このなかに孤独を感じて鬱々としている人がいたとしたら、きみはひとりではないと伝えたいと、アンソニー・チェンは上映前の舞台挨拶で語った。いましがた映画を見終わったわたしは、この映画のいったいどこに孤独が>>続きを読む
かつてルノーの自動車工場があった場所で、子ども向けの生演奏付き上映。あの家族連れでごった返す劇場にひとりで観にきていたのは自分ひとりだったのではないか。劇中のチャプリンをはじめとする観客たちが繰り広げ>>続きを読む
フィリップ・グラスが1998年に作曲した伴奏の生演奏付き上映。てっきりサイレント映画なのかと思っていたら、フィルムの音声にピアノの演奏が重ねられていて驚いた。そういうこともできるのか。
絶妙に出自を>>続きを読む
げらげら笑っているうちに、あっという間に映画は終わりを迎えている。爽快な潔さ。『Chien de la casse』で強い印象を受けていたラファエル・クナールの佇まいに完全にやられる。彼はパトリック・>>続きを読む
わたしたちは村上春樹の最良の部分に沈み込んでいく。あのイマジネーションの飛ばしかたこそが村上春樹のあたらしさだったのだと確認できる。とても上質な大人のためのアニメーション。もう観てから十ヶ月も経ってし>>続きを読む
業務用スーパーの品出し。工事のあいまに喫む煙草。通勤バスの座席配置。ラジオが伝えるウクライナ戦争の戦況。カラオケバーで出会った男女が埋めあう孤独。二人で連れ立って観に行く映画はジャームッシュのゾンビ映>>続きを読む