中国最後の皇帝として溥儀が辿った生涯の巨きさに釣り合うだけのスケールをもちえた稀有なフィルム。溥儀の弟のもとに日本から政略結婚をさせられた嵯峨浩の自伝にもとづいた田中絹代監督の『流転の王妃』と合わせ鏡>>続きを読む
かつて日本の封切りで観たときはてんで受け入れられなかった記憶があるのだが、数年振りに再見してみると悪くない作品。映画としては、まあハリウッドの文法ですよねという域を出ないけれども、水俣病をはじめとする>>続きを読む
パスカル=アレックス・ヴァンサンは上映前の作品紹介を終えてから、これは大島渚映画のなかでも失敗作で、映画よりも音楽のほうが優れている稀有な例だよねえ、と言った。確かにこれは坂本龍一の名を世界に知らせし>>続きを読む
恋人の死を弔う教会からユナとクララの二人は煙草を吸いに出て、ほら、あの壁の四角を見上げたまま、少しずつ後ろに下がっていくと、まるで宙に浮いていくみたいな感じになるんだよ、という何でもないようなくだりが>>続きを読む
静寂を切り裂く銃声。たぶん実際の南北戦争も、わたしたちが想像するほど血みどろでも騒がしくもなくて、そのほとんどは静寂に包まれていたのでしょう。あの雪のひとひらに詩情をこめたい気持はよくわかる。やりたい>>続きを読む
ナウシカの王蟲みたいな造形の「クリーパー」。「グエムル」や「オクジャ」のときも、人間よりは大きいけれど、小さすぎも大きすぎもせず、中くらいと形容するのがぴったりの絶妙なサイズ設定だったが、今回の「クリ>>続きを読む
この映画を観てからというもの、まんまとディランを聞き続けしまっていて、それだけではディランは飽き足らず、脳内を占領して「Mr Tambourine Man」や「Blowin’ the Wind」や「時>>続きを読む
エイドリアン・ブロディの実母もまた1956年のハンガリー革命で米国に亡命したユダヤ人だったそうだ。彼が演じたバウハウス出身のユダヤ人建築家の立身出世の物語が、あたかも史実にもとづくように錯覚させられて>>続きを読む
無性にどこかへ旅行に出掛けたいという衝動に駆られ、ポーランドへの格安航空券を見つけた翌日、たまたま近所の映画館でかかっていたジェシー・アイゼンバーグの監督主演作をとくになにも考えずに観た。いまぼくの周>>続きを読む
大学に入ったばかりの頃、シネフィルの先輩に薦められて見た。当時は熱狂した記憶があるのだが、10数年振に見かえしてみるといまいちノれない。後年の脂ぎったおじさんのイメージが強い、佐藤允の若かりし頃のすら>>続きを読む
1971年の公開当時、路傍で物乞いをする傷痍軍人はどれぐらい残っていたのだろう。終戦から四半世紀後につくられた二時間半におよぶ沖縄決戦をめぐる、この迫真の「ドキュメント」(の再演)で、米兵の爆撃で傷つ>>続きを読む
仕事に追われていたので、冒頭の五分だけ覗いてデスクに戻るつもりが、あまりにも素晴しいオープニングのショットの連鎖(三船敏郎の顔の余白に「侍」と出るタイトルコール!)に完全にやられてしまって、結局「終」>>続きを読む
天国では風が強く吹いている。その風は砂埃を巻き上げ、布をはためかせ、海岸線の家々を揺らす。それでもアル=カイダ組織の飛ばすドローンは強風をものともせず、天空に轟音を撒き散らして旋回しては「天国のそばに>>続きを読む
オーストリア出身の映画監督の知人が、ブリュッセル時代にもっとも重要な場所だったと言っていた「Cinéma Nova」にて。わたしたちの訪問の折にたまたまロス兄弟の特集が組まれていて、旅先で偶然に見た。>>続きを読む
強制収容所へ連れていかれる貨物列車にひしめくユダヤの人々の、疲れ切った顔、顔、顔。アニメーションだからこそ表現できる寓話性と、史実としての悪のリアリズムの融合。
毎年新作が発表され続けているホン・サンスに興味を喪って久しく、わたしにとっては『逃げた女』振りの新作。その五年の間に彼は七本も撮っていたらしい。まあ二日もあれば撮れちゃうようなものばかりだから普通か。>>続きを読む
初っ端から最後まで爆弾が炸裂し続けるはちゃめちゃなミュージカル。伊藤雄之助の題目を舞い、浪曲を歌いあげ、暴れまくる姿の、汚らしく耄碌したさまよ! すごい。子分として脇を固める砂塚秀夫もキュート!岡本組>>続きを読む
戦後日本における典型的なサラリーマンとしての、江分利満、エブリマン、Everyman。もともと監督を予定していた川島雄三の脚本では彼は自室から一歩も外に出ないという設定だったというが、岡本喜八の手にか>>続きを読む
「あなたって人は一度だってわたしの心の呼び鈴を鳴らしてくれたことはないわね」「きみは謎めいたことを言うね」「鳴るのよ、わたしの呼び鈴だって。鳴らそうと思えば」
いかにも大学教授という出立ちの黒縁丸眼>>続きを読む
毒にも薬にもならない、むしろ毒。鑑賞中のわたしの脳裏に、この毒毒しい呪詛の言葉が到来してなかなか追い払うことができなかった。かつて果たせなかった夢の追究を大人が子供たちに代理させることはひとつの暴力と>>続きを読む
モニカ・ベルッチという絶世の美女を射止めたオタクくんが、その新しい恋人をいかに美しく撮るかと腐心するさまが見てとれる。その試行錯誤の様子はひどく感動的!
テニスコートの両陣を分け隔つネットを伸ばした先にゼンダイヤが座っている。ボールの行方を追って首を左右に振る観客たちの中心で、サングラスを掛けた彼女は微動だにしない。彼女は何を視ているのか。何を考えてい>>続きを読む
「義坊が海を見るたんびにカアちゃん! カアちゃん! と叫んでたみたいに、おれたちも山を見たら義坊! って叫んでやるから、義坊はちゃんと大きな声でハイ! って返事をしなきゃいけないよ」と、自らの手で義坊>>続きを読む
他人の人生に評価を下すことはできない。わたしたちには「どうすればよかったか」という問いにこたえる資格はないのではないかと思ってしまう。姉の出棺時に場内で流れるビートルズ。棺に入れられる苺のショートケー>>続きを読む
わたしたちがラウラとともに覚知してきた物ごとが、第二部において残響のように回帰する。ラウラは平原を延々と彷徨しながら自らの姿を1969年のカルメン・スーナに重ね合わせていただろうし、馬に跨ったときには>>続きを読む
いままさに生起せんとする運動を撮ること。クリス・マルケルから授けられた金言「火事を撮りたければ、火がつく前に誰よりも早く炎があがる場所に赴くこと」を胸に『チリの闘い』を撮ったグスマンが、半世紀近くのと>>続きを読む
はじめから最後までずっと泣いてしまった。あまりにも美しい映画。コメディ調でありながら、凡庸で退屈な中年のサラリーマンがいかにして社交ダンスと出会い、やがて情熱を傾けるに至るかという変遷の描写がとても巧>>続きを読む
ポリオを患い、左手と右脚の自由が効かない男の子。トモエ学園に在籍する不具の同級生をめぐる描写が、軽く明るいタッチのアニメーションのなかでひときわに印象に残る。トットちゃんに唆され、決死の思いで校庭の木>>続きを読む
正視に堪えない拙さ。これほど潤沢な予算を投じ、名の知れた役者を揃え、こんな無様な仕上がりになるなんてと昏い気持になってくる。意味のないカットが多すぎて終始いらいらした。ろくに演出もできない監督のもとで>>続きを読む
18世紀のアルメニアの宮廷詩人サヤト-ノヴァ(「詩歌の王」)の生涯をたどった伝記映画という触れ込みだが、この作品はむしろ、アルメニアの大地で無数の人たちの交錯によって育まれてきた文化の一断面図という印>>続きを読む
10年ぶりに観る『CURE』の上映中、わたしが眠りに呑まれたのは数十秒に満たなかったように思う。その短く浅い眠りで昔の恋人が死んでいた夢を見た。若くして自死を選んだ彼女に、もう二度と会うことすらかなわ>>続きを読む
最後に待ち受けているイヴァンの死を目の当たりにして、どうしてわたしたちはこれほど無感動でいられるのだろうか、という疑念。彼の死の瞬間が直接的に描かれなかっただけではない。映画を通じてイヴァンの生涯をと>>続きを読む