kentaromoriさんの映画レビュー・感想・評価

kentaromori

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パナマ運河地帯(1977年製作の映画)

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小さなアメリカ。ラジオ・テレビ、映画、パーティーの豊かな生活は、法と銃で保たれる。 

例えば、ただのテレビ画面やプールでおじさんが泳いでいるシークエンスは、一体どういう感覚で撮り続けているんだろうか
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杳かなる(はるかなる)(2024年製作の映画)

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障害者だけでなくその介助者をこれほどまでにフォーカスしている映画があっただろうか。そのどちらにも「この生」への問いで貫かれている。 

(とはいえ全く気構えず見られる傑作です)

「私の生も、私のかか
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わたしのSEX白書 絶頂度(1976年製作の映画)

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車が奥へ去って行く、電車が左から右へ走って行く、男が痛みに悶え下へしゃがみ込む。 
鉄球が垂直に落とされ建物が解体される、カメラがまず女を追い、その後に男が追いつく。 

モデル(1980年製作の映画)

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労働力を商品として売る労働者であるだけでなく、存在そのものを労働力即商品として売らざるを得ない一つの人種。または剰余価値の塊。

PLAN 75(2022年製作の映画)

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ぼくたちは必要のない世代間対立に投げ込まれている。こんな罠にハマっていてはいけない。

Devotion 小川紳介と生きた人々(2000年製作の映画)

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これはすごい。一つの運動体の中の個と全体。証言者全員がこれほどまでの批評性をもつことができるのか。

野生の島のロズ(2024年製作の映画)

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映画の全ジャンル、全物語をやっている。大傑作です。  

「わたしたちは、「私と同じようにやれ」と言う者からは、何も学ぶことはない。わたしたちにとっての唯一の教師は、わたしたちに対して「私と共にやりな
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海とお月さまたち(1980年製作の映画)

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タコ、イカ、フグ、タイと漁師の対話(比喩でなく本当に話しかけている)。水俣病以前の海。 

監督・土本典昭

シンシンドゥルンカラッツ(2023年製作の映画)

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本来なら付いている音を欠落させている映像に新たに音を付けるこの映画は、記憶を少しづつ失っていく母に捧げられている。シンシンは「風が穏やかに吹く音」、ドゥルンは「洞穴に石が落ちる音」、カラッツは「雷が落>>続きを読む

映画 忍たま乱太郎(1996年製作の映画)

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冒頭から霧が立ちこめ、眠り火の煙で眠らされ、味噌汁の湯気に誘われる。またしてもしんべヱの鼻水が決め手となり、最後は爆発と粉塵でジエンド。決まった形を持たない煙や液体、それはつまり忍者のことだ。エアロゾ>>続きを読む

エマク・バキアを探して(2012年製作の映画)

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風 運命 255の動物たち 

「エマク・バキア」の謎を求めて寄り道すること自体を陽気に楽しむ様に、室井光広を想起した。おもしろかった。

三里塚のイカロス(2017年製作の映画)

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正しいとか間違ってるとか勝ったとか負けたとかじゃない。大義も敗北も、今まで誰もまとめてこなかった声がここにある。呆然とする。傑作だと思う。 

デザイン:鈴木一誌 

聖なるパン助に注意(1970年製作の映画)

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プクプクのファスビンダーとミックジャガーみたいなやつと麻生太郎みたいなやつとたくさんのゲイが出てくる。ファスビンダーのゴダール『パッション』。おもしろかった。

You Burn Me(英題)(2024年製作の映画)

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パヴェーゼ『異神との対話』 
失恋によって自殺したサッフォー、男から逃れるために自殺したブリトマーティス、(失恋が直接の原因ではないが)自殺したパヴェーゼ。 
それぞれをつなぐ、本に書き足される水彩の
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最後の手紙(2001年製作の映画)

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原作:ワシーリー・グロスマン『人生と運命』 
これもドキュメンタリーだ。 
カメラの前に否応なく剥き出しにさらけ出される存在の零度。 

(この作品の後、ワイズマンは再度今作の俳優を主演にベケット「し
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メイン州ベルファスト(1999年製作の映画)

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この作品あたりで対象や編集が<個>から<総合><全体>へと変化していく。

パブリック・ハウジング(1997年製作の映画)

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「ワイズマンがしていること、それはキャメラによる一般化によって日常を変容させ、その日常の振り払いがたさをつうじて、こうした経験の真理、つまり、現今の「包摂システム」が突きつける「超産業的であれ」という>>続きを読む

誘拐魔(1947年製作の映画)

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ヒントがあり答えがある、文字と文字が交わり結び付きそれがヒントとなり答えへとたどり着く=クロスワードパズル

わたしの願い/わが望みのすべて(1953年製作の映画)

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時計の針を巻き戻す、母親の役を演じ直す、しかし「劇」は終わる

臨死(1989年製作の映画)

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生かしてほしい↔︎苦しくしないでほしい、この矛盾に引き裂かれつづける現場。 
死によって現存在は完了にいたる、だとすれば矛盾に引き裂かれることによって現存在は完了すると言うことができるだろうか。

三里塚に生きる(2014年製作の映画)

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守るために闘って守れなかった、それだけではないはずだ 

写真・北井一夫 

「現にあるものはそれ自身じぶんとひとしくないものであり、みずからを解体するものなのである。つまりじぶん自身の内なるありかた
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