一晩中、おたがいの尊厳を叩きつぶすような、それこそ「死ねる」攻撃が繰り出された末に、朝が来る。夫は「ねむろう」と言い「大丈夫か」と言う。妻は「ふたりきりね」と言い、夫が妻の肩に置いた手に、妻の手が重ね>>続きを読む
能力の発揮はつねに快感であって、蛙は跳ぶのがキモチイイ。登場人物はみんな切れ者で「有能」で、その能力を気持ちよく発揮する会話が見所(気持ちよくやりすぎちゃって、あとが大変だったというところまで、言及さ>>続きを読む
主人公は、映画のはじめと終わりに2回「asshole」と言われる。自らの未熟な野心を開陳するとてつもない早口の長ゼリフの末、ガールフレンドにむかって「だって○○大学なのに(勉強したってしかたないでしょ>>続きを読む
笑いどころの多いコメディだけれど、キャストも撮影も、総じて淡々と真顔であることが、なんとも上等。
褪色したカラー写真のような色彩の、漁村と海と空の、朝な夕なの美しさ、意外と抑制的な音楽、天国の住人の>>続きを読む
ものすごく生々しい。
それは、かけはなれた境遇の人間たちが、別に対比というわけでもなく、ただ同時に目に入るせいだと思う。所得格差、愛情格差、人格格差、金持ちと貧乏人、いいヤツとダメなヤツ、愛ある者と>>続きを読む
もし恋とか愛が残念な結末をむかえたら、美しかった記憶はウソになるのか?ビターエンドは、遡るようにして、日々のすべてをつらい思い出に変えるので、人はその記憶を消し去ろうとする。けれど、本当は、素晴らしか>>続きを読む
主人公の鼻歌が、劇中何回かBGMとして流れるのだけれど、舞台となるピンサロでかかりっぱなしの軍歌とのコントラストもあって、そこで、さっと空気が入れかわる。たぶん、それは、彼らにも内面があるということの>>続きを読む
声を立てて笑ったのは、主人公と小説家が、それぞれ相手の世界へと介入する二つの場面で、それはまさしく「神」の侵入であり、二人とも物凄くびっくりする。エマ・トンプソン演じる小説家が電話のベルに驚く演技は、>>続きを読む
伝説のクラウンであるらしいジョージ・カール、その他多くの骨董品のような珍芸さんに加え、その直系リー・エヴァンス(「メリーに首ったけ」「マウスハント」)の、それぞれの本芸がたっぷり見られる。
ジェリー>>続きを読む
この続編は、DVD収録のNG集が本当に面白い。例のハゲの人デヴィッド・ケックナーが同性愛者なので、再会のハグが執拗すぎるという場面があるのだけれど、NG集では、彼が不必要な馬鹿力で頑張るので、ふりほど>>続きを読む
警官の兄が、カーチェイスの末、しかたなく逃走犯を撃ったとき、自分は「あーあ」と思って笑ってしまったのだ。
映画は、人生への不適応者として生きる彼を、神話の登場人物のように描く。それは、彼がどうして不>>続きを読む
ノーマン・ベイツそっくりな主人公の視点でお話は進むのだけれど、しゃべる動物がいる小ギレイなインテリアの、すぐ裏側には、処理された(しきれない)それが積み上げられている。ロマンチックな狂気と人格の荒廃を>>続きを読む
なぜ、益田喜頓はそれを言ってしまうのか、フランキー堺は帰ってこないのか、桂小金治は木札をさげて意気揚々なのか、小沢昭一はこんなに邪悪なのか。
ロジックで出来ていない人間の不気味極まりない闊達さから、>>続きを読む
主人公ナセルアリが、こんなにも世界から愛されていたということを知るカタルシスがあって、2人の女が彼のために流す涙があって、それで、どうして、死の床にあって彼は音楽を取り戻さないのか、と問い詰めたい。