しいたけ

輪るピングドラムのしいたけのレビュー・感想・評価

輪るピングドラム(2011年製作のアニメ)
5.0
2021年10月〜2022年3月 BS11

劇場版楽しみすぎてハゲそう

「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」というのはすごくパラドキシカルな言葉だ。

「お前たち」である冠葉と晶馬はテロ事件の首謀者の息子であり、また陽毬にとっての擬父親と擬母親の役割を積極的に引き受けていて、そういう意味では僕みたいな全然就活うまくいかないニートよりかは外からも内側からも強く規定された「何者か」である。

しかし、「何者か」であるからこそ、本来彼らのような10代に(しばしば無責任に)期待され、やがて「何者か」になる過程としての中間状態=「何物でもない」可能性としての存在は担保されない。そういう過程があらかじめ奪われているという点で確かに彼らは「きっと何者にもなれないお前たち」だ。そしてそれは確かに「罰」かもしれない。

でもそれは外側から単に押しつけられた面だけじゃなく、彼ら自身が自分に(実は確たる証拠も論理もなく)自罰的に、しばしば感情的に押しつけた「罰」でもある。その相互的な関係は彼らを取り巻く荻野目苹果や夏芽真砂子などのエピソードで何度も再演される。

「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」、そのパラドキシカルなねじれを他者との関係性のなかで傷ついたり傷つけながらも解消していくこと。誰かを愛したり、誰かを赦したりすることで。テロ行為で世界を破壊(≒世界を革命)することではなく。だからこそ「世界を革命する力を!」じゃなくて「生存戦略!」と言わなければならない。

ウテナ劇場版のレビューで堊氏が「脚本の面からよく考えると結局お前も暁生と同じ根性論じゃん、としか思えない結末がむちゃくちゃ残念」と書いていて「確かにそうだ」と思ったのだけど、その根性論を乗り越えて、「人は一人じゃ生きていけない!」という陳腐で凡庸だが大切な結論を十分な強度で正確に物語に引き出すためにはウテナの劇場版から12年もの歳月が必要だったのだと思う。前作の象徴的な美術やデザインから打って変わって現実の街並みや事件(地下鉄サリン事件など)が直接的に引用されているのもうなずける。

とか偉そうに言いながらしいたけお前ウテナのTVシリーズ途中で止まってるだろ早く見ろバーカ
しいたけ

しいたけ