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ゾン100~ゾンビになるまでにしたい100のこと~の鑑賞者のネタバレレビュー・内容・結末

3.8

このレビューはネタバレを含みます

色の使い方が良い。このカラフルさでゾンビの本来のグロさを逆転させるの上手い。

アキラと閑の対比。厳密には「〇〇したい」と「〇〇すべき」の対比ではなく、それらの位置づけの対比。というのも、閑だって「生き残り“たい”」と思ってるし、アキラも「したいことをす”べき”」と思ってるから。要するに、人生を生きることは単に生存することなのかという問題に対するスタンスの違い。

それからアキラと日暮の対比。ヒーローもの並の美しい対比(ワン・フォー・オールとオール・フォー・ワン的な)。どちらも「〇〇したい」を行動原理にしている点では同じ。でも、日暮の欲求はすべてルサンチマンで他律的。他方でアキラは自分の欲求を自己完結的に追求する。欲求が自由に選ばれたものかという点でふたりは異なる。

しかし、アキラ的な欲求追求には自由にまつわる問題がつきまとう。自分の自由と他者の自由がぶつかる場合にどうすべきか。他者の自由も尊重するかどうか。ミルの自由論(他者危害の原則)そのまんま。

現代社会批判としても良い視点がたくさんあった。特に刺さったのは「不便だから人と繋がれるんです」(ep.10)のセリフ。便利を追求した結果、人が人を必要としなくなる。でもそれはあくまで“功利性”の次元において。人はどこまでも人を必要とする。なぜなら、人は単に功利的な存在ではないから。それにも拘らず、便利を追求した現代の社会が、我々が必要とする他者とのつながりをもたらしづらくなっている。誰のための社会だ?と思わずにはいられない。

たとえゾンビに塗れた世界であっても、そこに人間がいる限り、その世界に生きる価値はある。
「さぁこの世の地獄で 笑いあっていたいんだ君と」(ハピネス オブ ザ デッド)
この一節がぶっ刺さる。


「愛する努力もしねぇで、与えることも知らねぇで、自分だけは構ってほしいなんて、彼女はお前のママじゃねぇんだよ!」--ケント
(よく言った。)
鑑賞者

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