SANUKIAQUA

ちむどんどんのSANUKIAQUAのネタバレレビュー・内容・結末

ちむどんどん(2021年製作のドラマ)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

〈山原村編感想〉
未だ訪れたことのない沖縄は憧れの地です。
いつか美ら海をこの目で見たいし
チャンプルーを食べたいです。
なので毎回美しい海を、
美味しそうな料理を映してくれるのは
それだけで嬉しい気持ちになれます。

沖縄を舞台にした朝ドラは
「ちゅらさん」「純と愛」に続いて3作目。
前2作品はいずれも現代が舞台だったので
ほぼ戦争や日本返還の話はなかった印象で
返還50周年に合わせての本作には
大きな意味があると思っています。
実際私はあまりに沖縄について
知らなさすぎると思っています。
既に広島、長崎を訪れたことがあるので
沖縄を訪れる際にはリゾートだけでなく
沖縄戦や基地問題も含めて文化や歴史を
知りたいと思っています。

山原村編を見て思うことはまず
比嘉家の母、優子さんのことです。
子どもたちと接してる姿をみると
きっと素晴らしいおばあになるだろうと
思いました。
まさに「ちゅらさん」に出てきた
おばあのように。

優子さんは戦争で家族を亡くしています。
長男の年齢から考えて戦争が終わって
夫と結婚し、子どもたちを産み育ててきた。
やっとできた新しい家族。
しかし頼みの夫は亡くなり
彼女は一人で4人の子どもたちを
育てなくてはならない。
夫方の親戚に物申すなんてできないだろうし
夫を亡くした悲しみや辛さは
相当なもののはずなのに
子どもたちには笑顔しか見せない。
土木の仕事をし、過労で倒れても
涙を見せず、愚痴も言わない。
なんて強い女性だろうと思いました。

子どもたちには父も祖父母もいない。
味方はまさに自分だけ。
父や祖父母がいれば、
たとえ彼女がきつく叱ったとしても
バランスをとる家族がいるけれど、
比嘉家にはその父も祖父母もいない。
だから彼女はとことん子どもたちを信じる。
子どもたちが最後に安心できるように。
ニーニの暴力事件や詐欺事件も
ニーニも反省するところはあるけれど
本当に悪いのは高校生まで連れてきて
妹らに手を出したり奴らであり、
おばあに暴力をした奴らであり、
詐欺師の男に間違いない。
母である優子がニーニの正義を信じないと
ニーニはそれこそ人の道を外れただろう。
SNSではニーニのダメっぷりや
借金に関わるやりとりや解決に
批判的な意見が多くでているけれど
私は割と、のほほんと
「ダメだな〜ニーニーは〜」と
見守ってる感じです。
ヘアバンドをずっとつけてるとこや
地域祭りでの客よせ
妹が本気で寝ていたと信じるとことか
根が素直すぎて憎めないキャラクター。

身体の弱い三女に対しても
母優子は優しく励ましてくれるけれど
三女が今後支えにできるのは
彼女を追い回した教師の言葉でしょう。
担任でもないけれど、
あの先生は三女の心に居続けるだろうし
ああいう先生に出会えてるのは
なんて幸せなんだろうと思います。

長女の場合、真面目すぎて心配。
勉強にバイトに一生懸命で
ニーニにあたっても当然だし
自分が働いたお金でおしゃれしても当然。
母のことを一番理解してる。
女性はお茶汲み、職場の花の時代から
彼女がどう生きていくのかが
これからも見どころです。
あの彼とは結ばれない気がします。

4人の子どもたちは皆、
強みと弱みがはっきりしていて
その強みがそれぞれの人生を切り開き
その弱みが人生を難しくする。
だからその弱みをみんなで補い合う。
それが家族だし、仲間だし、また
そういう社会であってほしいと思います。

主人公・暢子の話はここからが本番。
沖縄と全く違う本土で
どう成長するのかが楽しみです。
暢子の子役の子は本当に魅力的でしたし
黒島さんも期待通りです。
さすがアシガール!

山原村の子ども時代、
暢子にほぼプロポーズしていた
東京の彼と今後どうなるのか。
豆腐屋の彼のことが少し心配。
三女はどう生きていくのか。
彼女が繰り返し歌っていたあの二つの歌、
歌詞の中にあの歌だった理由がある
そう思います。

山原村編での不満は
比嘉家の子どもたちを馬鹿にしていた
子どもたちに対して
学校が全く何もしなかったこと。
また会社のボンボンの愚行を諌める者も
誰もいなかったこと。
現実はそんなものかもしれませんが。

また、もっと沖縄の料理や祭り、
米軍占領下の状況を
もっともっと掘り下げて欲しかった
というのはあります。
父にはもう少し生きて
色々語って欲しかったなぁ。

〈鶴見編感想〉
舞台は鶴見、東京へと移り、暢子をはじめとした若者たち
仕事と恋愛、青春と成長が描かれる。
沖縄編で謎となっていた過去も明らかになっていく。

鶴見編で感じられたのは、
様々な固定観念、既成イメージとの葛藤と
それを打ち破っていく挑戦。
わかりやすいのは男ばかりの職場で働く暢子や愛、
少し遡ればフォンターナのオーナー房子のように
女性の社会進出ということだけど、ことはそれだけではありません。
女性が変化するように男性の在り方もまた変わっていく。
そしてそれはドラマの在り方自体にも
“らしさ”との対峙が描かれいます。

ヒロイン暢子はイタリア料理店で働く中で
自分らしさを問われ戸惑い、
その答えを母親に求めますが
本当の自分らしさとは自分で思っているそれとは違い
自分が一番親しい人、近い人が知っているものなのかも知れません。

暢子は働き始めた当初、
オーナーの房子や同僚も呆れるほどに世間知らずでしたが
それはごく自然なことだったと思います。
生まれてからずっと沖縄の田舎の小さい町のコミュニテイで
育ってきた女の子が、いきなり大都会東京でうまく立ち回れる
社会性や知識を身につけているはずもありません。
昭和40年代後半です。現在のようにWEBで大抵の情報を
検索し知ることができる時代ではありません。
しかし彼女を見守る大人がそれを受け止めちゃんと成長の道筋を
たてていることはとても大切なことだと思いました。
同様なことは新聞社で愛や和彦を導く上司にも言えることです。
決して答えは与えず、失敗しても責任は先輩がとる。
そうすることで若者はチャレンジすることができる。
最近の若者は〜なんて昔からよく言われるけれど
若者が物事を知らず失敗をすることは当たり前のこと
失敗して学んでいく、それを支える余裕や余白が
現在の日本社会には不足していると感じます。

沖縄を出てから、家族を幸せにしたいという一心で
頑張ることだけは一貫しているニーニーは
怪しい商売に手を出したりふらふらしています。
しかし困っている人を見過ごすことはできない
という良いところも変わっておらず
男はつらいよ的な存在感で時に周りを混乱させ
時にそれが良い流れを作ったりもする。
決してヤクザな道に走っているわけだなく
彼が一番輝ける場所に早く気づいて欲しいなと思います。
彼自身も”長男らしさ“に囚われているのですから。

暢子の登場により刺激を受けた人物は数々いますが
中でも和彦の同僚であり恋人である愛に与えたものは
印象的でした。
暢子との出会いにより和彦が自分から遠のいていくことは
彼女にとっては辛いことだったに違いありませんが
同時に暢子から受けた自分の夢への刺激は
それ以上に彼女にとって大きかったと思います。
親が敷いた結婚、家庭入りに抵抗しつつも
そうするのが自分の幸せだと納得しようとしていたけれど
そうではないと決意する彼女は素敵でした。
和彦に自分たちの関係をどうするつもりか尋ねていた彼女は
実は自分に対しても問いかけており、
和彦に振られたというより振ったという印象があります。
愛は決して可哀想ではないと思います。
優柔不断な和彦に対しきっちりと別れを申し出た彼女は美しく
パリできっと素敵なキャリアを築くでしょう。

沖縄では暢子の姉、良子が職場に復帰することで別居状態となりますが
夫の実家での孤立無援ぶりには同情する部分もあります。
長男らしさ、長男の嫁らしさというものを求められる辛さ。
こうした葛藤や、どういう家族の形をとっていくのか、
良子らがどういう風になっていくのかはとても興味があります。
彼女らの行動や意識が少しずつ今へと繋がっていくのですから。

愛と暢子の間で揺れる優柔不断な和彦。
優しさは時に一番残酷ということをしてしまいます。
中学生の時の強烈な沖縄体験、直後の父親の死は
より一層彼の中で沖縄の存在を大きくしているのでしょう。
いつ和彦は暢子を好きになったのか
それは中学生の時からです。
彼はその頃、ほとんど暢子にプロポーズをしていますから。
それはとても原始的な感情でずっと和彦の中で眠っていたはずです。
和彦が愛を好きだったというのも嘘ではないと思います。
だから彼は困惑していたのでしょうね。
しかしもう少し早く踏ん切りをつけて欲しかったとは思います。

暢子は幼馴染からも求婚されますが、
正直それは彼の一方的な思いで
彼が振られることに関しては致し方ないとおもいます。
しかし暢子は彼の思いというものを
もう少し丁寧に大切にする必要はあったと思います。
しかしこうした何気ない行動や言葉で人を知らずに傷つけてしまう
それも若さというものだと思います。

鶴見編の終盤になり、謎だった暢子の両親や房子の過去が
明らかになっていきます。
暢子たちが子供時代に語らなかったというのは
それだけ辛い経験だからこそなのでしょう。
太平洋戦争時、米兵が上陸して戦場となったということは
日本の他の地域とは異なる苦しさや悲しみがあり
その後のアメリカ占領下の暮らしなど
そこで暮らしてきた人々にしかわからないことが
あるのだと思います。
私たちはそっと彼らの言葉に真摯に耳を傾け
教えていただくだけです。
生きていること、選択できること、
夢や可能性があることの重さ、幸せを知っている
大人たちの言葉は尊い。

過去を知った子供たちが今後どう生きていくのか
託された思いをどう活かしていくのか
それは現在にもつながってくるのだと思います。

”らしさ”についてはこのドラマ自体も
朝ドラの“らしさ“と対峙しているのかと思います。
様々な登場人物たちの造形は様々なものを
わざと外しにいっていると感じます。
否定的な声が出ることも全て想定済みだと思います。
そこまで計算してものは作るものです。
朝ドラらしさやヒロインに求めるらしさ、
こうあるべきというという理想像や完璧さは
価値観や世界観を狭くしてしまう可能性があると思います。
そういうことも踏まえて次の舞台を楽しみたいと思います。

〈杉並・やんばる編感想〉
独立や結婚の苦労を乗り越えてラストまで
すごいなと思ったのは
中原中也の詩で青柳母息子の心情の
やりとりを表現したところ。
ぴたりとハマっていて凄かった。

ニーニーが本当に地に足をつけて
歩みだす過程が良かった。
それぞれが泉を見つけて
生きて行くようになってよかった。

このドラマを見ていて
たくさんの知らない沖縄の風習や文化、
料理、野菜などの一端を知ることが
できました。
沖縄の本土復帰50周年ということで
本土の人間は沖縄戦とアメリカ占領下、
復帰後の苦難の側面を知りたがるけれど
勿論それを知ることは大切だけれど
それよりも沖縄の文化や風習について
より知ってもらう方が
沖縄の方は嬉しいんじゃないかなと思います。
沖縄の人だって悲劇のヒロインのまま
なんて嫌でしょう。

最後は沖縄らしくチャンプルーでしめた
ラストの令和X年、あれは現実か
歌子のみた夢か
それとも暢子のみた夢か
2人から始まった家族があれだけ増える
あの風景は幸せだね。
SANUKIAQUA

SANUKIAQUA