(1) 相手の痛みは、それが身体であっても心であっても、他者が「わかる」なんてことはできない。「寄り添う」ことだっておこがましい。寅子と航一のように、ただ、側にいて、「わかろうとする」姿勢を続けることが、まずは大切なのかもしれない。
(2) 確かに、「生理のおじさん」の振る舞いには、一部分、「自分わかってあげてます」的な、パターナリスティックな「親切の押し売り」があったかもしれない。立場を替えて、自分もこのような振る舞いをしてしまっているのではないか、と考えさせられた。「マイノリティの気持ちに寄り添う特権性」や、「異文化を持つ他者にもオープンな自分、という演出によって、他者と差別化できている自分」に酔っているようでは、自己陶酔と言われても、反論できない。