カウボーイのカウボーイたる姿が見られる。恥ずかしながら、西部劇というと、銃撃のイメージで「カウ」ボーイという印象がいまいち弱かったんだけど、しっかり「カウ」を追い込んでいる本来の仕事姿が見られる。
思ったのは、映画「オーストラリア」は、ポスターにせよ、2人の恋愛大河という売りにしなければ良かったということ。
正直、この物語が大事にしようとしたと思われる(それでも不十分ではあるが..)、ナラやその祖父ら先住民のパートがごっそり抜けてしまうから。
改めてこの編集でみたら、ナラの存在の大きさがすごくいい。、というか見終わってから印象に残っているシーンやエピソードが全てナラやその家族、先住民に関するもの。
特に、牛の大群を堰き止めるナラなんて、神話のような構図だった。
あと、水車のエピソードも鮮烈でした..
もちろん主役2人もいい。
べたなんだけど、この2人だといい感じに現代的でソフト。(この時期、ハッピー・フィートでも夫婦役でしたね。キッドマンは、常に相性の良い俳優と連続で仕事するみたいだね。)
しかも、2人とも相当に脂の乗っている時期(もちろん、今も素敵ですよ!2人とも今はどちらかというと円熟の域ですね。)。
それでも、それでも..「オーストラリア」のタイトルにして、この内容なら、宣伝や売りもナラで行くべきだった。なんならその方が、作品として正しい評価を得られたと思う。
そういう後悔もあってのドラマ化でもあるのかしら?でも、またサムネにナラの姿がほぼ見えず..
これを言ったらおしまいかもしれないけど、白人・男というメインカテゴリーにいかに認められるか..ということが作品を貫いてしまっているのは隠しようがない(、というか隠すとかいう気もないだろうけど。)
文学の映画化の悪手の定石と呼んでもいいものの一つにナレーションがあると思うんだけど、この点もまた。
この辺の作品での登場人物の軸足の比重、「エルビス」といい、バズ・ラーマンとなんかフィーリングが合わない時も多いんだよなあ..