レインウォッチャー

マーベル/ジェシカ・ジョーンズ シーズン1のレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

4.0
ウッドベースの足音と共に、紫煙とネオンで燻る街の濡れた通りが浮かび上がり、その先に独り座る《彼女》の月の裏側のような瞳が見える…

明らかに発散されるノワールな硫黄臭、このシリーズはMARVELブランドのアメコミヒーローものを一歩越えて、ダークで多層的な人間ドラマを求める層に広く刺さり得るものだと思う。

主人公の私立探偵ジェシカ(C・リッター)は一応スーパーパワーを持っているのだけれど、常人より多少頑丈で強いだけ。原色のスーツもレーザー光線もなし。要するに地味なのだ。

対するヴィラン、キルグレイブ(D・テナント)もまた、「人を命令通りに操る」という強力ながらシンプルなもので、やはり派手なエフェクトなんかは描写されない。目の前の人物は、ただ彼の言葉に従ってしまうのである。

ジェシカを含めた多くの人々が、彼の能力によって支配される。そして重要なのが、その《支配力》はなんとか彼のもとを離れた後も尾を引くということ。

この描き込みが、本シリーズの肝となる。劇中の人物たちは、支配されていた時の記憶に苦しみ、フラッシュバックや自己否定感などに苛まれる。所謂PTSDだ。
上に書いたように派手な演出がないぶん、彼らの様子は、アルコール/ドラッグ中毒や性暴力の後遺症といった現実的な事象とダイレクトに重ねることができるだろう。キルグレイブはフィジカル的にはそこまでの脅威ではないけれど、その精神性そのものが普遍的な邪悪なのだと定義づけており、パワー(暴力)ではない何かで立ち向かわなければ真の意味で勝利することはできない、と理解することができる。

ジェシカは主人公だけれど、ヒロイックな精神とは無縁に見える。酒や性に依存し、他人との長期的な関係を結ぶことができない。刺々しい態度は自己防衛の表れであり、初めはキルグレイブからも逃げようとする。

そんな彼女が、理不尽で・目に見えない《支配》から脱出して自己の尊厳を取り戻すべく徐々に立ち上がり、脅威に立ち向かっていく。何度も失敗し、言い訳を見つけ、諦めかける。
それはキルグレイブ以上に自分との戦いでもあり、自分を赦すことでもあって…今シリーズは、ヒーローオリジン以前の、人間としてのオリジンともいえるだろう。

だからこそ手に汗握り胸を打つし、数少ない腐れ縁の友・トリッシュ(R・テイラー)とのシスターフッドは尊い。自分の人生を自分でコントロールしていると実感すること、そしてそれを分かち合える誰かがいると思えることは、わたしたちの幸福の根源だからだ。

何かに少しでも「足掻いてる」人たちなら、きっとジェシカ・ジョーンズは忘れ難くかけがえの無いヒーローになる。