曹嵩の子として生まれた曹操は、少年時代、宮廷にて、漢王朝が没落していく様を知る。やがて、漢王朝は董卓の専横にあい、時の皇帝・献帝は、家臣であるはずの董卓にあやつられることになる。董卓の専横に疑問を持った袁紹・袁術兄弟は、反董卓軍を募って、董卓に対抗する。曹操は、袁紹に共感をし、反董卓軍に参加。危機を感じた董卓は献帝とともに都・洛陽を捨て長安に逃れる。反董卓軍の孫堅は、洛陽を攻めたが、洛陽は焼失していたのだった。反董卓軍はこれを機に解散。やがて、董卓は長安で養子の呂布に殺され、長安は混乱に陥る。しばらくして、曹操は献帝を自らの領土であった許昌に招き入れた。皇帝を救い出し、漢王室の復興の大義名分を持った曹操に立ちはだかったのは、軍力の勝る袁紹であった。曹操は、袁紹との戦いに挑み…。
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