ニューランド

ツイン・ピークス:リミテッド・イベント・シリーズのニューランドのレビュー・感想・評価

4.2
如何にも映画的な映画、確度と気品と風格がピッタリと来るような、チョコマカせずにしっかり安心·任せられる作家·作品群がある。黒沢プロ期の黒澤、大作巨匠期のリーンやワイラー、英語作品期ベルトルッチ、21世紀イーストウッド、前期ヴェンダース、通年のスピルバーグ·張芸謀·ノーランらか。私にとっては、リンチも20Cは、そういったフィルムの特性の艶に叶う作家だった、私にとっては。それなりに好きではあるが、傑作·記念作として何かの機会にリストアップしたことはない(他者も含め、張の『初恋の~道』が例外くらいか)。すっきり消化されて、トラウマとはならず、記憶から抜け落ちるのかもしれない。
が、21Cになって、TVシリーズ崩れみたいな何処までもマイナー感、Dビデオの薄っぺらいチリチリ感、の見掛け安っぽい2作でリンチ世界にはまった。Wowow初放送時から観始めては疲れで眠ってた、コロナで2週間100円レンタルにのって、改めて観始めたT·P·returnもそうだ、と今更納得す。1·2シリーズにあった、映画フィルムならではの、深い余韻·ミステリアスな味わい·語りの艶やかさ·秘密世界の表裏存在らが、デジタルの、軽薄·冷徹で、クリアで+аのない、日常も非日常も同列に連結·飛翔らの、隠す術もない見え過ぎの異常以上の正常で、払拭されている、痛快·広大さがある。
自然も室内も沈んだ不可視の部分のない厳とした且つ等身大のクリアさ、幹越しの左右や縦への移動の不可解のままの現れ、トゥショットや切返しの飾り気のないストレート·曇りなさ、モノクロ·パートやアニメ的キャラ?の挿入、馴染みある旧い緞帳や器具による装置と·幾何学模様·この世ではない幻影の·不思議マッチ、抽象と植物と動物溶合い物と·様々石像·歪み飛上り溶込む奇声と奇相の人物消去り形の大胆まま描き混み、都市·山村部·政府組織·不穏グループ·不信内在の家族血縁·あの世とこの世の貯めある往き来·自然にドッペルゲンガー=1人の対照内部の2人化らの切替え·通底の収束しない関連と飛翔。導入にしか過ぎないがここまでで充分、潤わされ·濁りないエネルギー得られる、と大満足。南部(考えれば北部か)特有?の女性への嗜虐指向が、フィルムでは美·まろみで緩和されてたイメージがもろに感じられる、反時代性を気にせぬ正直さも寧ろ心地いい。(1·2話’21.1.29鑑賞+記)
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3.4話を収めたディスクへ。時に紫·オレンジ·青にシーンを染めつつ、如何にも安っぽい停止·行き来、不自然で歪み·燻り·変型大小化·浮遊化するデジタルというより電気的がピッタリのパート、紅い緞帳や小人も挟まり、日常のおかしなリズム·関係では、ゆっくり寄る·横へ、フォローとか視界の移動やリヴァース·俯瞰入れらをキッチリと納め、本当に子供の時の連続冒険怪奇ものを観てた時のワクワクの再来で糸がよりあわさってくる。クーパー捜査官の帰還の波動?で、分身のダギーの変調、その事故でFBIのゴードン支局長らが確保の彼にクーパー発見と駆けつけ、留守宅にダギー代わりに記憶喪失·カジノで偶然大金ゲットのクーパーが夫·父として入ってく(2.17鑑賞+記)。
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5.6話になると、落ち着いてきて、残虐や幻想的シーンもあるけれど、帰還して、自分と悪の権化が合体してのドッペルゲンガー·ダギーの位置に入れ替り·収まるも、『ぼくの伯父さん』みたく、言葉少なく戸惑いおかしな行動をとる繰返し、しかし、周囲はそれを変な奴としつつ受入れ、偶然のポイントの符号に侮れないと納得したりもする、クーパーの日常場面を、シーンも長めのろめ、タッチも、構図·仰俯瞰含めた角度·視界や縦の図·寄るやフォロー·切返しやどんでんの落ち着いた正確さ、で成瀬とも比べたい精緻·静謐さで描く、ウェイト大となる。登場人物の各家庭やカップルの齟齬·ズレが可笑しく描かれる。N·ワッツやA·サイフリッドも、リンチ家の一員になりきってる (3.2鑑賞+記)。
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7.8話になると、これまでデジタル色で鋭さ·強度は増したが連続TVものの枠は守ってたのが、一挙に純粋に映画、或いは作家の出自に接近してゆく。恐ろしいくらいの変異。7話ではクーパーの変化の起点、分離、内面の別人化(別人格)が、よりぜい肉のない澄んだスタイルで問われ、探られてゆく。8話になると、大戦中の原爆実験、10年後の同地迄時も跳んでゆき、『2001年~』のスターゲイト、伊藤高志やマディンもどきの時空うねり宇宙や特異歴史加味造型を経由し、ゾンビもどきや特殊生物·イノセンスと闇の起点の合体という作者の創造者としての出自に戻ってくる、というTVの了解ベースを外れた、純粋前衛的なスパン·一体表現の圧巻をみせてくる(3.31鑑賞+記)
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9.10話は、若きローラの大CU浮かび他奇異イメージはいるも、基本、切返し·寄り入れ·寄るやフォロー·逆光抜け、などのシンプルで力の根っこを当ててく、映画の純なスタイルが再び、主となってきて、アート性よりも映画純化し、特に 10話は、仰俯瞰も取り入れての切返しの間の距離が歪んでも、近くにくっついて来そうな、肉体や意識の対峙部分溶け合いそうなセックス等での、意識しない人の求めあいが、始原からの発達を仄めかす。互いを間違えて受け入れられたダギーとクーパーを続き追い、最初で奇怪な殺人ブリックスの死体とその血筋関係者へ戻る、カジノトップ·視察FBIから、ツインピークスの不良の家族·保安官事務所まで、様々な大小の円のカブリ·錯綜も、ワクワク自然強まる。其々に内からおかしく暴力的でもあり得る存在らと、それに疑いを挟まぬ·無益な犯罪推理にばかり向かう空気が、どこかにあり続けるが、性の充実内実からの触感が愛おしく抜け出きて、リードの主体が変容してくる。しかし高まり一揆流れでんとする意識も垣間見える。「別の次元へ」「外へ流れ」「時空へ」 「全てはローラに」 高い極みの掴めて抽象触感への予感。そして、特にリンチ賛美者でイメージもくそもない気鋭女優連次々が凄く、中核のワッツ·ダーン·ジャドらは同年輩になるのか。 (4.15鑑賞+記)
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11.12話、確かに多層的な内容·要素が詰めこまれてるも、それらを振り払う、映画のスタイルさえ超えた、もっと深く、純朴な表現の呼吸だけを求め、益々その巾を、謎解き以前の全ての本質に近く、狭めてるだけの印象が強まる。天の雲の求心渦巻抽象力から流れてく、幻視、夢、地図の象徴、異世界、突然銃撃·予言、らこなれたギミック·トリックよりも基本·基礎の、パン·フォロー·主観·寄るといったフィットのカメラの素直で荒れてく可能性の感じられや、いつしか90°変や切返し·寄りと退きを残し形を示していってるタッチが変に根付く。ツイン・ピークスの保安官らと不穏住民ら、バックボーンのルース遺体の謎とカーター失踪中を探る(当初UFO捜索再結成)FBI捜査局員ら、ベガスの保険会社構成員とカジノ経営ギャングら、が少しずつ近付いてく。(4.22鑑賞+記)
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13·14話は割りと平易·作家性少·きっしりリクエスト味の、旧いアメリカン·デクパージュとなり、バランスをもって情報を拡げ繋げ整理してくる志向へ。時折、瞬間残虐シーンを交えて、13話では端に引き締めのギョギョ味をちりばめ、味を整え、14話では、「ベルッチ」の夢·「消防士」異世界短期移送·TW赴任前のロンドンの手袋絡み過去·らのパートが(ストーリー的に)大きく 割り込んでくる、唐突であり·性急であり·決定的トーンで、大胆イージーに。ゴードン·コール支局長の嘗ての相棒フィリップ·ジェフリーズ暗躍や、ダイアンとジェイニーは異母姉妹といった事実やイメージが、モンタナ·サウスダコタ·ワシントン(ツインピークス)州を跨ぎ、更に「謎」「夢の中の生。夢の主体は?」が上位に浮かんでく。成瀬的に内省化を進めてそこから視覚を越えて異世界を掴んで欲しかったが、それではなくなり、本来に戻ってきた。(4.28鑑賞+記)
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15·16話、一気に展開を速め、それぞれの人物が迷わず、まっしぐらに何かに向かいだし、と言いたいところだが、これまで特に18話中の中程の、外的進行を無視して、何もない廻りとの関連求めを忘れたような、全てが透明化して総ての意味の重さを忘れて、とりあえずの形だけの純化を求めて浮かんでいたような世界の反動として、実体の有無の確かめ·そのサイドへの自分の位置を確かめる事が行なわれてゆくようだ。切返しで長く停滞せず、主観移動やカットのフィット変や摘まみ締めで、ぐんぐんと進み、後腐れは自分にも他人にも生ぜず、自己の立場も相手の存在も、時に迷いなく切り捨ててゆく。この25年の間に亡くなったD·ボウイの扱いもそうで、黒幕の存在すら他と同列化、重みを失ってく。(4.30鑑賞+記)
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17·18話、愈々終局·大団円と云いたいが、これまでの集約を期待しても、成果はない。ここに至ってゴードンから明かされる、巨大な負の力「ジュディ」の捜索の歴史。しかし、ジュディもローラも結局幕引きに役立つわけではない。寧ろ、驚くは正常に戻り、ブレてOLして安っぽいコミック的描写と質感経て、境界を踏み越え異世界へ戻るクーパーの主観か客観かその世界にやがてぴたり沿うだけとなる、スタイル·内容であろう。20世紀の前シリーズのフィルムの情感·ロマンチシズムでローラ他がしっくりとまるまる復活してくる。デジタル素材トーンに近年慣れてたリンチ世界の背任に、しかし呑み込まれてしまう。しかし、それとデジタルトーンをひっくるめて、何も直接的意味·方向成就を持たない、特異丸呑み世界を細工なく呈出してきて、2人の因縁の最早中年となった女たちとの、各々延々長い尽きない車中は、まるで道行きの呈示·いまも存在し得る意識と様式のかたちであり、その飾りない単純さの持つ透視力は、『アイリッシュマン』のホッファ殺害シークエンスに匹敵し、薄暗さの中のローラの放つ存在の重さ·悲痛は『めまい』のマデリンに似せられた車中のジュディのようであり、辿りつくまでの家は『捜索者』的存在である、に至る。内的なる全てへ繋がるベースの場が生まれてる。それは、どこにも行き着かず、「夢」との係わり支配力も結局掴めないが、不満を持つかというと全く感じない。
個人的には、『マルホランド~』を上回り、『インランド~』に肉薄の、リンチの最高傑作に近い収穫を、理解を超えて受け取った気がする(まぁ、本当のリンチファンは20世紀のフィルム作品を選ぶだろうが)。実は30年前Wowowに入ったのは、これの第一シリーズと『ビリディアナ』を観る為だったが、後者はともかく、コッチは途中リタイアしたので、ボブのクーパー乗っとり等の繋がりは掴めてないまま、観てしまっている。(5.1鑑賞+記)
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