kidoぽん

アンナチュラルのkidoぽんのネタバレレビュー・内容・結末

アンナチュラル(2018年製作のドラマ)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

傑作でした。以下、Twitterに連投した感想(?)です。観た人の人生観を変えようという、高い志に感動しました。
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アンナチュラルの話するのを許しておくれ。糀谷ゆきこさん作「茶色い小鳥」のラストで小鳥が大きな花になるんけだが、それを中堂先生は「理屈に合わない」と思うわけだ。しかし糀谷さんは「理屈じゃないの」と諭す。
その8年後中堂先生は「犯人を殺しても何も変わらない。理屈ではな」と吐き捨てる。

中堂先生はここで「理屈に合わない感情」の存在を認め、受け入れている。それだけでなく支配されてしまっているわけだが、ただ、この感情は他でもない糀谷さんに教えてもらったものなのだ。

中堂先生のバックグラウンドは、糀谷さんに関するもの以外明らかにされないが、彼女との初めての会話、あるいは逆プロポーズの様子から考えると、医学の道に邁進しながら、人間ならではの割り切れない人生観を拒み続けてきた、排他的なほどに実直過ぎる男だったのだろう。

道を究めようと愚直に生きてきた男が、恋に落ち愛に触れて、生命の割り切れなさを学び人間となってゆく。その後の結末こそ全く違うけれど、ここまでは要するに夏目漱石「こころ」のKである。

人間は理屈、つまり「論理」に従って生きることも、「感情」に任せて生きることもできる。ロゴスとパトス、アポロとデュオニソスである。どちらも認めて、受け入れなければいけない。中堂先生は糀谷さんとの逢瀬を通じて、人生の均衡を得たとも考えられる。しかし事件が起き、今度はこれまでと逆側に大きく振れてしまうことになる。不条理との闘いの中で自分を見失ってしまうのは珍しくない話だが、今度の中堂先生を、パトス側からロゴス側へ押し戻し、均衡を与えたのが最終話での三澄ミコト先生だった。

ミコト先生は、論理を以て律法社会をつくった人間が、世の不条理に打たれ、野生に戻って感情に支配されることを敗北だと考えており、一貫してそのアティチュードを崩さない。これは完全にヒーローとしての立像である。ただしスーパーパワーは無い。奇跡も起こせない。悩む、葛藤する。生身の人間だ。

というか、ミコト先生に限らない。アンナチュラル登場の人物ならびにMIUの人物は全員何の超能力も持っていない設定でありながら、誰かのヒーローになったりヴィランになってゆく。これは言い換えるなら現実の我々自身も、志次第でヒーローになれるということでもあるのだが。

中堂先生の話を先に終わらせよう。彼はミコト先生の働きかけによって、再び人間としての生命を取り戻す。人間は無秩序な感情も持つのだが、社会の中で秩序を保つ必要がある。そのためのツールとして法律があるわけだ、と、その後の毛利さんも語っている。あれは作品全体のメッセージの要約でもあった。

アンナチュラルはミコト先生の物語であるのと同じくらい中堂先生の物語でもあったので、彼という1人の人間が、不条理に打たれながらも自己実現を果たしていったプロセスを追体験することは、現実を生きる私たちの世界観にも大きな影響を与えるに足る作りになっていたと思う。中堂先生ありがとう。


思えばUDIのメンバーは皆、自分が信じる真実や正義のために、「秩序を重んじながら」、やれるだけのことを全身全霊でやっていた。義勇心も大事だが囚われてはいけない…という台詞もあったはずだ。これは特別なことではない。つまり、私たちの誰でもが、同じ生き方を出来るはずなのである。

ちなみに、中堂先生も確実な変化(≒成長)を遂げたわけだが、しかしアンナチュラルという物語の中で、最も成長を遂げた主人公は誰かといったら、それは紛れもなく久部六郎くんであった。

六郎くんは典型的な自分探し中の若者だった。ミコト先生も東海林さんも神倉さんも、ある意味では中堂先生も、確立された人格を持っていた。つまり大人たちだった。だが六郎くんは余りにも若い。善悪の分別がついていたとしても、自分の人生を捉えられていないから善悪に自分を沿わせられない。

作品中で無事に「父殺し」を果たし(ビターな書き味だったが)、自己の人生を掴み取り、精神学的な意味での「家路」に着くことができた。わかりやすく「おかえり」という描写もある。感動的なシーンだった。この作品、神話的な主人公は六郎くんなのである。


しかしアンナチュラルは徹底して現実を描く。これは神話ではないので、六郎くんには更なる試練が訪れる。家路の喪失である。しかも原因は自らの未熟さにあり、愛する者たちを裏切る大失敗をしてしまう。非常にリアルだと思った。人生はハッピーエンドの後も続いてしまう、のであるな。


敗北の追放者となってどうするかといったら、やっぱり、やれることをやるしかないのである。死んでないのであるなら、どんなに汚れても生きるしかないのだ。そうやって生きて、つくった未来が、敗北した過去を勝利へと変えていくのだ。未来を作る仕事は、過去を変える仕事でもある。

六郎くんの最後の選択は、7話で中堂先生が語った人生観にも通じる。失敗しても、裏切ってしまったとしても、「許されるように生きる」のである。このドラマ、様々な場面で人生観が交錯するのが余りにも上手い。


長々色々書いてしまったけどドンピシャで私の好みにハマると作品だったからである。

物語のどの場面でも、米津玄師の「Lemon」の詩がハマるのもすごいんだが、演出の妙技もさることながら、これに関してはLemonの包容力もすごいと思う。死と喪失についての普遍的な詩であるから…
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