このレビューはネタバレを含みます
違和感感じる描写も、まさかのあの事実だったからとは。。
直接的に、震災当日やコロナ禍の悲惨な描写は描かれていないけれど、
辛い出来事があったのは視聴者には理解できる。
震災後数年後に被災地訪れたとき、
飲み屋で出会った女の子の「この辺の人たちで傷がない人なんていない。誰かしら亡くしたりしている。けれど、へらへら笑って生きている、生きていかなきゃいけないんだから。そして、亡くした人の分まで背負わなくてもいい。」などと明るく話しかけられたことが強烈に記憶に残っていて。
傷とともに生きる、
新しく踏み出す、
亡くした人の記憶や温もりとともに生きる、
‥‥
どれも間違いではないのではないかな、と思う。
その人にとっての生きる意味になるならば。
このドラマでは、作り出した幻とともに生きているのだろうけど、
空気感のなんと美しいこと。
掲載記事で、被災者として書かれなかったことに喜んだのは、
奥さんを亡くした後の復帰、と喪失を描いてほしくなかった気持ちもあるんだろうな。
本来ならば震災後10年のとき、もっと訪問者は多かったはず。
忘れ去らないように、「今」の姿をみに、落ち着いたらまた足を運びたい。
(被災地、という呼称を今もあまり使いたくはないけれど、相当する言葉が見つからない。。)