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DAU. Three Days(英題)のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

DAU. Three Days(英題)(2020年製作の映画)
4.0
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こちらの番組で本作品について語ってます。観てね~
https://shirasu.io/t/genron/c/ura/p/20211124234526

[遠い過去に失われ、元に戻ることのない恋について] 80点

時は1956年。ソ連中に知られた高名な物理学者レフ・ランダウは、少年時代の恋人と25年ぶりに再会する。相手はギリシャ人の女優となったマリア・ナフプリオトゥである(ランダウはコンスタンティノープル生まれ)。『Nora Mother』でノラの母親リディアとやりあってから4年が経ち、DAUユニバースの中で初めてランダウの女性遍歴が表面化する作品でもあり、『Nora Mother』『Nora Son』に挟まれた"ノラ三部作"(と私が勝手に決めたもの)の二作目に相当する。

文化交流の一環としてロシアにやって来たマリアは三日間だけ研究所に滞在することになる。ノラとデニスは家におらず、古い恋人同士は誰もいない場所で古い恋を温め直そうとするが、"人生を共有して過ごせる人がいない"として結婚しなかったマリアと、"ノラと人生を共有はできないし女性とはオープンな関係でいたい"とするランダウはのっけから噛み合わない。変わってしまった二人の関係性は、古い感情と甘い思い出だけが繋ぎ止めていて、マリアはそれで足りない部分を補完しながら、心では未だに惹かれている。

研究所長であり悪友アレクセイ・トリフォノフの誕生パーティに併せて新しく若い家政婦を雇うことにしたランダウは、猥雑なパーティにマリアを招待する。研究所に来て長い時間が経ち、"オープンな関係"なる女遊びを続けたせいで感覚が麻痺してしまったランダウにとって、下着同然で歩かされる家政婦候補者たちはやはり性的な対象でしかないが、そこにマリアを混ぜる異常さに気付けていない。それどころか、精一杯かつ最上級のもてなしと思っているフシすらある。マリアは感じていた違和感を確信に変えながらも、それをも思い出で打ち消そうと躍起になる。ランダウとしては、家政婦候補者たちとマリアの間には線引があって、それはロシア語(ランダウと他の人)とギリシャ語(ランダウとマリア)という面でも線引されてはいるのだが、同じ空間で同じ時間を過ごしながら現在(パーティ)と過去(失われた愛)を線引するのは不可能だった。

そこへ、ノラが帰宅する。ランダウ/ノラのロシア語、ランダウ/マリアのギリシャ語、ノラ/マリアの英語という三ヶ国語のぎこちない会話は、ノラとマリアの間をランダウが通訳し続けることで、両者の間に挟まれたランダウの現状を浮き彫りにし、全部を取ろうとする彼の心の中すら透かし見る。独り身のマリアに対して"家族"という言葉を使ってランダウとの関係性の優位を示し続けるノラの言葉を、ギリシャ語に訳し続ける地獄を味わうランダウだが、彼の適当な態度こそが問題をややこしくした原因なので当然の報いと言えるだろう。ノラにしてみれば、女好きなランダウを短期間放置してみたら超キレイなお姉さんが家にいて、メイドは休暇に出されていて家が荒れ放題だったらブチギレるのは至極当然の反応だ。しかし、直前の直前まで失われた恋愛の感傷に浸っていたマリアからすると、彼女の登場は二人の関係がなぜ終わってしまったのか?という問いに対する直接的な答えに他ならない。マリアが好きなランダウはノラに対してそっけない態度を取るが、それはマリアと結婚していた違う未来の姿にも重なってくる。ノラの席に座って、ランダウの嫌味を全面に受けるのは自分だったかもしれないのだ。

失われた恋は、失われたからこそ尊い。ランダウとマリアの過ごした時間は二度と戻ってこないどころか、ランダウの脱走という全く同じ展開によって再び失われる。全員が傷付いた負の非ゼロ和ゲームはこうして呆気なく幕を閉じた。
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