Just take shower of Love and Stupid.
愛とバカとカンフーですべてを解決する作品。
ブルースリーにキルビルに、あらゆるオマージュが詰め込まれ、もはや何ががしたかったのかすら超越した唯一性にたどり着いてる。
面白いのは文脈の妙理で、アナルプラグも“銃の奪い合い、揉み合い”みたいに見えてくるし、尻になんか刺さってるアジア人は“今しがたジャンプして馳せ参じた奴”に見えてくる。ギャグをシリアスのキーに据えると、だんだんギャグさえシリアスに見えてくる。
ソーセージ人カップルが足で奏でる月光は最高潮で、愛おしさとか哀愁が地上10階の映画館を湖に変えてしまう。シャッターアイランドくらいの華やかな画作り。
文脈を知るというのは激烈な変化をもたらすもので、エヴリンのありえない領収書も、目立ちすぎだった看板回しも、真剣で重要なファクターだと受け止められるようになる。一見不審なことでさえ、訳を知れば愛着ある事象に成り代わる。この変化も、ある種の愛だと思う。
ベーグルの虚空に身を投げようとする娘にあらゆる思いをぶつけて、それでも母として受け止めること。自分自身がこうであるとカミングアウトすることであり、こうあってほしかった願いを伝えることであり、すべてを円環に繋ぐことである。
娘ジョイがだんだん可愛くなってきて(どちらかというとモモンガみたいな憎たらしいけど好きなベクトルで)、次はどんな格好で出てくるのか楽しみになる自分。
マルチバースと死の話で。
あるバースで死ぬのはマルチバースにおいて大したことない事象なわりに、アルファ・ウェイモンドが死んだのにハートエイクする現象。全然そんなことないのだ。
ややもすればジョイが闇落ちしていったのは、アルファ・エヴリンがスパルタ教育の末勝手に死んでいったことへの強い悲しみがあったのかもね。
ガールフレンドちゃんが最後までゲイカップルの象徴なだけだったのが気になるけど振る舞いが可愛いからよし👍👍
「どういう話?」とか聞いても意味なんてないので、細けえことはいいから見ろ。