相変わらずスゴいモノを観せてくれる。
ものすごい期待に溢れ、予告編でちょっと思ってたのと違う気がして不安になったが、全くそんなことは杞憂だった。やっぱ良かった。
この監督のエモさというか、目と心がガバッと掴まれる感じ、スゴい。
色鮮やかで壮大なファンタジーに包まれている世界でありながら普遍的な日常とも距離の近さを感じる。絶妙。
恐ろしいほど映画館がスクリーン数をこれに割いている。『ブラックパンサー』『あちらにいる鬼』とか同日に公開している映画もそれなりにあるのに、圧倒的な規模。
今年もアニメが興行を引っ張っているが、本作でよりその“本気”を見せつけている。
この作品を構成する要素がまさに“日本”。
日本で生きる以上、それと向き合い寄り添わねばならない“地震”。それに意味を持たせる。
そして、少子高齢化が囁かれる中、今、地方では社会的にも課題となる“廃墟”。
災害や諸般の都合で人が住めなくなったり、寄り付かなくなったりしたその“廃墟”には、もともとそこに住んでた人の無念や記憶などが残る。
そこには邪な念が集まり、“扉”が開けられるとそれが解き放たれ、また新たな悲劇を産まんとする。
それを探し、解き放たれんとするモノを、扉を閉じる事で防ぐ家業“閉じ師”、草太。
その“閉じ師”にしか見えないはずの“扉”や念の塊が見えてしまう女の子、すずめ。
すずめが何も知らずに、そこにある封を抜いてしまうことで、始まる静かに、そして人知れず“日本”を揺るがす物語となる。
地震、災害警報、廃墟。
女子高生と大学生の“閉じ師”が、解いてしまった封が子猫の姿となり、草太をあらぬ姿に変えたことで、2人でそれを追い、解き放たれんとする邪悪な念の塊“みみず”を食い止めようと悪戦苦闘する物語。
それが宮崎、愛媛、神戸、東京、宮城と、日本津々浦々に及ぶ彼らの壮大な天命になっていく。
目の前で起こってることはファンタジー。
しかしながら、そこに映る景色や、人、街も全てが現実的。
ファンタジーがそこに起きてることに新たな、そして本当にそうなのかもしれないと思える意味を持たせる。
現実も「だからこんな壮大なことが人知れずに起きているのか」と思える日常が描かれる。
すずめが点々とする土地土地で出会う地方の人の暖かさ。都会の喧騒や慌ただしさ。
何もかもが今の“日本”にあるものばかり。
それら全ての裏に蠢くモノと、それを日常に招かないように暗躍する者がいる。
その狭間にいる普遍的な女子高生すずめの過去や、現在、未来の繋がりがこの物語のベースにもなり、やがてそれがリンクし始め、すずめにとっても目の前に起きてることに意味を成す。
まさか、突然巻き込まれた形の女子高生が、この一連の“閉じ師”が向き合う世界と無関係でもないと言う伏線、、、。
この仕組まれた新海ワールド。
今の日本を先頭集団を走るアニメ作品。圧巻。
最高に仕上がってる。
画から伝わってくる勇気や暖かさや情熱や絶望。
これもまた実写では観れないグイグイと引き込んでくるストレートさと剥き出しのエモさが堪らない。
あの懐メロドライブ、最初の1曲目はもう、なんか、天才的なチョイス。
相変わらずスゴい画力。
あんまりないけど、この画力とエモさは間髪入れずにもう1回観たくなってしまう中毒的な作品。
だから、そう言う人のためにこんな回数やってるのか。
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