生々

すずめの戸締まりの生々のネタバレレビュー・内容・結末

すずめの戸締まり(2022年製作の映画)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

震災で親を無くし故郷をなくした方、災害で大事な物をなくした方達へ向けて作られた映画なのだと、観ながら気付き軽いショックを受けた。

自然災害は誰も悪くないからこそ、やり場のない怒りが自分の中に溜まっていくと、主人公と同じように被災した知人が話していた。

この物語には「閉じ師」という存在がいるが、すずめの怒りはそこへ向かなかったのだろうか。なぜ母を殺した地震を止めてくれなかったのかと。
そういった矛盾に触れないならば、この「閉じ師」の設定は使うべきではなかったと私は思う。実際にそれに似通った諸説があったとしても。

それにそんな重要な仕事を引き継いだなら、食っていけなくても教師なんて目指さずに生活保護でも受けて閉じ師に集中してくれ……と思う。

しかし震災という重いテーマを子どもにも楽しんで観てもらうためにライトな設定も必要だったかもしれない。

旅で出会う人が全てご都合主義なのも、映画が重くなりすぎないようにするためと、何も持たずにやってきたすずめに対し、手を貸し助けること、人間の尊さを表現しているのかも。

絵はとても綺麗なのにすずめやその他の人たちの生活や思いが伝わってこないのは何故か。鮮やかすぎるからなのか。沢山出てくるはずのイスも、手作りという設定はあれど、あんな風に見えるイスってあるだろうか。ツヤツヤしたニスは塗装が少し剥げているところを描いてるのはもちろん細かいところまで拘られていて凄いと思うが、塗装の剥げってそんな風に見えるだろうか?
何度も出てくる重要なイスだからこそ、もう少し工夫して子供に好かれるようにデフォルメするか、リアルにするか、自分だったら考える。ただそこをこだわっても、物語には何の変化もないので予算が限られたなかの苦渋の決断であのイスだったのかも。

あとはタイトルの出し方や、音楽、ネーミングセンスが好みと全く合わない。これは個人の話なのでファンの方々には申し訳ないが、「御頼み申す」「みみず」「ダイジン」など。みみずにいたっては、ジブリや他の作品によって作られた概念を擦ったような見た目で、監督はこれで満足なのか?と疑問に感じた。
監督にとってはやはり今回は物語が先行なのかもしれない。

物語は冒険ファンタジーとしても、過去の自分の傷を癒す物語としてもよく出来ていると思った。すずめが母親を探すシーンでは思わず涙が出た。だからこその「あなたはちゃんと大きくなる」という言葉。
そうか、帰る場所がない子供達が欲しかったのは、明日の保証、希望なんだと気付くことができた。
震災は誰も悪くない。
だけどずっと傷は消えない。だから「前を向いて」なんて言っちゃいけない。被災地の復興は進んでいても、12年前に震災を経験した子供達が今大学生となって笑っていても、ずっと傷は消えない。
だからこそ、すずめにとってのそうたのような生きる希望と出会う明日が、自分にはあるってことを、被災し傷ついた方々が自分で自分に伝えることが出来たなら。
それに手を貸すことができる、とても意味のある映画だと思った。
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