生々

おもひでぽろぽろの生々のネタバレレビュー・内容・結末

おもひでぽろぽろ(1991年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

小学五年生のたえこが今目の前に現れたのはなんでなんだろう。
小学生の頃の描写が、その時代を生きてなかった私にとっても痛いくらい分かる。家族間のあの雰囲気、姉を無意識に敵対するたえこの気持ち、姉の気持ち、想像するまでもなく伝える描写、台詞、すべて素晴らしい。

会話そのものが面白い。心地いい。
生きた人の会話。キャラクターが役割を果たすための取ってつけた台詞じゃない。駅から本家までのドライブが、かなり尺あったけど楽しかった。たえこの「そうだったんですね」という気持ちのいい返事、最後まで見るといい子を演じようとしてたことが分かる。トシオみたいなコミュニケーションの取り方をする人が好きだから夢中で聞いた。

すぐに過去を振り返るたえこ。別に面倒くさくってもいいじゃない。

5年生のたえこは、自分の答えを出せなかったのかな。自分を押し込めて、押し込められて。だから大人になった今でも、自分じゃない自分を被って生きている。だから仕事にもそこまでの生きがいを感じていないんだと思う。

自分を生きてって、そういうことを伝えにたえこはきたのかな。
じゃあ、最後どうしてあんな風に悲しい顔をしたんだろう。
寂しかったのかな。
過去を引きずりながら、要は今を生きていないたえこが、前に進んで昔のたえこ達をもう思い出さなくなっちゃうことが寂しかった。
きっとそうだと思う。

紅花、私も摘んでみたい。
田舎に憧れる気持ちもわかるし、だけど一生そこに住み続ける覚悟はない都会育ちの私は、「偽物の田舎好き」と自分を責めたたえこの面倒くさいともいえる心に深く共感する。そりゃ、一言でいえば同じ好きだけど、違う。

最後、たえこが電車を降りて戻るシーン、もっと大袈裟にしたら、宮崎駿監督の作品みたく感動も大きくなったかもしれない。
だけど、かぐや姫の物語もそうだが高畑勲監督の些細で面倒くさい、現代でうまく生きていくためには邪魔でしかないような人間の心の機微を描くための映画なら、大袈裟にする必要はなかったんだろう。
そしてそんな人間の面倒くさいところが人間を人間らしくしているものであって、そういうものを一つの物語として表現できる高畑監督を心から尊敬する。
ナレーションですましているところを、映像的な表現で表せばもっと良かったと思う。

私は一生この映画を恋しく思いながら生きると思う。30歳くらいになって観たら、映画とリンクして思い出す過去は減ってるのかな、それとも増えてるのかな。
生々

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