このレビューはネタバレを含みます
2022年12月 初回鑑賞。他サイトから自己引用。
レビュー長いから要約、前に進もうというメッセージ性(あの日言えなかった行ってきます)に共感しつつも、人間中心主義的な描写に疑問を抱いてた。
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この映画は「前へ進もう」というメッセージ性の希望に満ちた映画だと思う。
誰が見てもこの作品は東日本大震災について扱っていることがわかるだろう。震災から12年たとうとしている今、あの日のことを改めて考えさせ、前を向き明るい未来ヘ進もうとエールを送っているような素晴らしい映画だと思う。
すずめは幼い時に東日本大震災にあい、母親を亡くす。彼女はその後叔母に引き取られ、楽しく暮らしているように見えたが、実際は過去にとらわれていた。幼いころ母親を探し常世に迷い込んだときのことを、何度も夢で見るほどだ。
物語の終盤彼女は草太を助けるために、故郷である岩手に帰る。そこで彼女は今まで心の奥底に封印していた記憶を思い出すことになる。つまり震災と向き合うのだ。
ミミズを要石で倒した後、すずめは幼い自分と出会い、母親だと思っていた女性は自分だったと知り、やはり母親を亡くしていたと彼女は再認識し泣きそうになる。しかし彼女は幼い自分を前に我慢し、幼い自分を励ます。「未来はこわくない」と。「光の中で大人になっていく」と。2回目の鑑賞ではここの場面でボロボロと涙を流した。
ここら辺の話はいい意味で運命論を信じているのだなと感じた。あと小説を読んだほうがより感動する。
そして彼女はこれから前を向いて生きていこうと、「行ってきます」と言って扉の戸締りをする。
つまり「すずめの戸締り」とは、震災のつらい過去と向き合い戸締りをし、前を向いて未来へと歩んでいく映画なのである。
次はサダイジンとダイジンについて考えたい。
最初映画でサダイジンを見たとき悪役にしか思えなかったけど、小説を読んで、彼は二人の本音を引き出すために、すずめに自身の余裕のない突っ走った姿勢を気づかせるために登場したのだなと感じた。
またサダイジンは役割を放棄したダイジンを要石に戻すためにも表れたのだと思う。そんな彼の姿は我儘な子供を叱る親のようだった(小説でも親子のようだという描写がある)。
しかしダイジンがそんな我儘な態度を取ってしまうのも分かる。何年間も石の姿でミミズを止め続けるのは、ひどく孤独で退屈なことだろう。実際、すずめは草太が要石となって、孤独のなか地震を抑えていることに涙を流している。
すずめはそんな悲しい要石の役割を和解したダイジンに再度任せることになり涙を流す。感動的な場面ではあるが、結局人間中心主義で物語は進んでしまうのだなとも感じた。
最後に何故草太はすずめに魅力を感じているのかが少しわからなかった。彼女が自分のことを鑑みずに彼のことを助けてくれたからだろうか。しかし大体草太が悲惨の目にあったのは、すずめが原因だ。すずめは草太との出会いによって、本当の意味で前を向いて生きられるようになったが、すずめの存在は草太にどのような変容をもたらしたのだろうか。
新海誠の作品は神話と結びついていることが多いので、その辺の設定も今後新海誠本を読みながら考察していきたい。