このレビューはネタバレを含みます
いまだからこそ落ち着いて観たい作品。この作品で、東日本大震災復興の象徴としての五輪だった事を思い出した。
コロナ禍での開催と国内の議論を二分したこの東京五輪は「望まれない面」もあった大変な大会だった。SIDEAでは出場選手にスポットが当たる。結局「無観客開催」を決めるがこれは英断であった。
出場選手の母国が内戦中であったり、「イランがイスラエルと戦うことは許されない」とゆえなきことで母国を追われ出場国を変えなければいけない柔道選手。また福島のためにも出身選手として代表を目指すも果たせなかった思いを語るバドミントン代表候補の福島由紀と桃田賢斗選手。
開催が1年ズレた事で女子バスケット代表を育児の両立が無理と辞退する選手、一方で子供とともに参加したいと、それを実現する米国アスリート。その二人の交錯。
日本柔道復権の命を託されながら混合団体ではフランスに敗れる無念。
五輪の開催がなければ報われなかった人々の姿がここにある。IOC主催の五輪は開催の手を挙げたのならば必ず開催しなければならない理由を実感する。開催決定の時点で「世界全人類のための大会」になってしまうのだ。安直に反対活動していた日本人活動家はそれをどこまで理解していたことか。
「本当に開催されてよかった」と思える悲喜こもごものアンソロジーである。